THE KEYS解散に寄せて

僕らと共にTokyo Acoustic Sessionを運営してきた、THE KEYSが解散しました。
前日パリから帰ってきたばかりの時差ボケの中、解散ライブを見て喪失感でいっぱいなのですが、記憶を辿って整理しておこうと思います。

初めてLIVEを見たのは2010年ごろだったかな。
曲と名前は以前から知っていてマイスペースで曲もチェックしていて、初めてライブを観たのがMARSで多分ディアドラの対バンだったと思うのだけど若いのに渋いなぁっていうのが印象。でも話すきっかけがなかったから、それで2010年にfrom England to MeというセッキーがやっていたイベントのLIVEがあって、その日に初めて撮影させてもらってそこで初めてLand of celebrationを聴いてすごく良い方向に転がって行った印象だった。

だんだんそこから何回も見るようになっていくのだけど、震災の後にゴイフェスっていうイベントが吉祥寺のwarpであった。
その時に綱ちゃんにドラムが変わっててバンドに足りなかった勢いとかキャッチーさがよく出来てきたのが印象的で。
そして2012年の初頭にTASを立ち上げることになって桜舞う4月に東京タワーの麓でMiss the Trainを撮影しました。
僕は勝手にあの曲がTASのテーマソングだと思ってるくらい印象に残っていて、そのあと浅草の路地でチンドン屋のようにHorsemanを撮影して、観光客だらけの中すごい度胸座ってるなと驚いた。
2013年には初めに、PARTY TALK~ツアーで大阪名古屋に。15人くらいで一つの部屋に雑魚寝して、出来ることならまた一緒に地方行きたかったよ。
TASのイベントに使う映像取る為に、仕事の後に集合して、立田の運転でぐるぐる首都高走ったこともあったね。
神戸に良いバンドがいると聴いて、マイスペースで視聴してたその人たちに、自分の結婚パーティーで歌ってもらうとは、縁とは不思議なものです。
ERAでのラストライブ、たぶんラストのリフレインを僕は死ぬまで歌い続けるとおもう。
特別な歌だから、もう生では聴けなくなってしまったから、歌い続けるしかないんだと思います。
今まで何と無くみんなそれぞれ音楽を続ける人もやめてしまう人もいるけど、本当にお疲れ様でした。

それぞれまた個人的なお付き合いを、よろしくお願いします。
僕に何か出来ることがあれば、いつでも連絡くださいね。

TASは続きます。

カテゴリー: Days

20141128 DAY 8 – Montmartre –

2014 11/28 最終日

 

実は昨日からシャワーが出ない。
このまま帰国するまでにお湯が出なければ、日本の家に帰るまで風呂に入れないことになる。気温は毎日一桁なので流石に水で洗うのはためらう。
旅の最後に最悪の事態になるのは避けたいので、フロントにその意図を伝え、早朝のシャンゼリゼ通りに向かう。朝のシャンゼリゼ通りは、人も少なく綺麗な秋と冬の間の空気がすり抜けていた。


NIKEショップには何かの発売日なのか行列が出来ていて、DJがアップテンポのヒップホップを回していたので、少し様子を見ていると彼がMixCDを差し出してくれた。

わざわざ朝からシャンゼリゼへ来たのはラデュレで朝食を食べる為。
前もって決めていたパンペルデュと店員がお勧めのエッグベネディクトを注文。オレンジジュースを飲みながら貴族のようなラグジュアリーな内装の店内で、風呂に入っていない東洋人が絶品の朝食を食べる。とんでもなく美味いしテンションも爆上がりなのだけど、後にレシートを見て引くくらい、人生で一番高い朝食だった。

アパルトマンに戻ってもシャワーは治っておらず、日本に帰るまで風呂に入れないことが決定する。。。
仕方がないので震えながら体を濡れタオルで拭いて、真水で頭を洗う。旅の最後がこれかーっ。
まぁしょうがないけど水回りのインフラで日本に勝る国はないと思う。

部屋に出しっ放しだった荷物や着替え、お土産など荷物を片付けて、フロントにトランクを預けてチェックアウト。
飛行機までの時間はメトロでモンマルトルへ向かう。
モンマルトルはパリの北西部の18区、市内で一番高い丘の上にあるエリア。パリの下町と言われているけど、下町なのに丘の上にあるのもなんか不思議な感じだなーとも思う。芸術家が多く住んでいたと言われていて、映画アメリの舞台としても有名な地区。Phoenixもなんかのアルバムをこの辺りのスタジオで録音したといっていた気がする。

ブランシェ駅で降り、ムーラン・ルージュの横の道を上りアメリの舞台にもなっているカフェドドゥムーランを抜けて丘の上を目指した。
確かに可愛らしいお店でいっぱいだし、石畳の坂も風情がある。建物の合間からはパリの街並を見下ろすことができ、フォトジェニックなエリアだなと思う。ゴッホやピカソなど数数の芸術家が住んでいた街、というのもとても納得がいく。

昼時だったので、新宿や渋谷にも支店が2017年まであったゴントランシェリエでランチ、日本のお店よりもいささか質素な外観なのだけど、道ゆく人を眺めながら、サンドウィッチやパンをとても美味しくいただいた。
休む間も無く東側へ歩いて向かうと、ここに来る人のほとんどが目指すサクレ・クール寺院があった。


モスクのように上が丸くなっているのが特徴的な寺院の外観はなんとも愛らしい。下から見上げると青空と真っ白な建物の調和がとても綺麗だ。
寺院の前は、眼前にはパリの街一望でき、芝生でみんな思い思いの時間を過ごしている。

入り口に物乞いがいるのに戸惑いつつ寺院の中に入ると、また神聖な空気に包まれる。
鮮やかに描かれた天井の絵画やステンドグラスは細部までがすごく綺麗。教会の文化に普段触れていないけれど、それでも伝わるものが十分にあった。
中をひととおり見た後、上のドームへ上る階段も登ることができるので、6ユーロ払い、400段くらいの狭い階段をひたすら上った。
映画に出てきそうな本当に狭くて古くて閉じ込められそうな空間をひたすら登った先にはまた、ものすごい絶景が待っていた。

規制で高い建物がなく、100年を超えるパリの街並みの屋根のうねりが縦横無尽に延々と続いている。屋根をたどっていけばどこまでも行けそうだ。。いくつかの地点から放射状に広がったアベニュー。遠くに見える煙突から黙々と煙。それを見守る寺院のガーゴイルの彫刻。屋根の上で働いている職人さん。合間から見える木々。
そしてその真ん中に見えるエッフェル塔。反対側には一箇所だけ開発されたエリア、ラ・デファンスの巨大なビル群が見える。
静かなその風景を眺めているとこういう瞬間のために旅をしているんだなぁということをしみじみと感じた。他にほとんど人もいなかったし、とても静かな空気の中、この美観を守ることがパリ市の使命です。そんなことをこの美しい景色が語りかけているいるように感じた。
歴史が残っているということが、いかに都市としての哲学と秩序を守っているのかをまざまざと見せつけられたか感じがする。

東京にも江戸の文化は根付いているが、街並みはほぼ残っていない。木造で経年に耐えられないせいもあるし、地震が多く空襲で消失してしまった部分が大きい。なにせ歌舞伎座の上に巨大なオフィスビルを立てるような判断をしてしまうような国だ。
戦後復興の名の下に無計画にどんどんと自由に開発がされていった。そのごちゃ混ぜの感じが逆に固有の東京らしさとも言える景色を作ってきたのだけど、日本に古来からある引き算をベースにした侘び寂びという概念とは真逆であることは、日本を訪れるいろんなデザイナーが指摘している。
それが日本の面白さなのだろうとも思うけれども、歴史の重さにはやはり勝てないと思うしこんな美意識が当たり前に日常にあることがとても羨ましくもある。

坂を下り、A.P.C. SURPLUSをチラ見した後、メトロで16区へ移動。
この旅の最後を締めくくるのは、ピエール・ベルジェ財団()で行われているエディ・スリマンの写真展「SONIC」を見る。


ファッションデザイナーとしてはもちろん、フォトグラファーとしても超一流のキャリアを持ち、ミュージシャンとの親交も深い彼の作品は、ショーでは積極的に気鋭のインディーロックをBGMに使うなど音楽に関係する写真がとても多い。この展示でもポスターに使われているルー・リードを始めエイミーワインハウスなどの大御所からクリストファー・オーウェンスやTEMPLESなどの気鋭の若手までポートレートがずらっと並んでいる。いつもHEDI SLIMANE DIARYはチェックしているが、入り口で渡されたリストを見ながらこの数は流石に興奮を抑えられなかった。
平日だったこともあるのか、会場はほぼ貸切状態で写真を堪能することができた。もちろん写真は全てモノクロ。白い壁に黒い額装。黒一色空間の左右に延々と映し出されるスライドショーなどからも彼の美意識を全身で感じる時間だった。

最後にいくつかのお土産などの買い物を済ませ、アパルトマンにトランクを取りに行き、17時に空港へ向かう電車にのった。
19時にシャルル・ド・ゴール空港に到着。マクドナルドを少し食べて、21:00 パリ発東京行きの便に乗った。

いい女はべっ甲のメガネをかけている。みんなタバコ吸ってる。ギャラクシーが結構多い。メトロの白いタイルが素敵。カフェの間隔が狭すぎる。広告の金色のフレームがとてもかっこいい。誰もマスクなんかしていない。暖かい飲み物が貴重。石けんがいい匂いだからいつもより多めに手を洗う。
そんな断片的な思い出を振り返りながら、雲の上に出るまで美しいパリの夜景を上から見ていた。

リンドバーグが大西洋横断飛行をした時、「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだ景色はこんな感じだったのかとも思った。
帰ったら以前に見た、「パリ・ジュテーム」「ミッドナイト・イン・パリ」「パリ恋人たちの二日間」などの映画を観直したいという気持ちを抑えつつ、飛行機では当時まだ日本で未公開だったウディ・アレンの「マジック・イン・ムーンライト」を鑑賞。

間も無く東京に着くという頃、ちょうど夕暮れ時で、いつもの千葉県のゴルフ場群を過ぎると、眩い夕焼けが東京の街を照らしていた。
36時間風呂に入っていないことなど、とうに忘れるくらい、心は満足感でいっぱいだった。
またいつかこんな気持ちにさせてくれる旅ができるように、また東京で頑張ろうと強く誓った。

(※この旅行記は2020年8−9月に書いたものです。)

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20141127 DAY 7 – Mont Saint-Michel –

フランス西海岸、ノルマンディー地方南部のサン・マロ湾上に浮かぶ小島、モン・サン=ミシェルまでは、パリからは約360km、東京-名古屋くらいの距離。パリから往復のバスに乗って片道約4-5時間の距離にある。
この旅の一番の目的とも言っていい日、とても楽しみにしていたモン・サン=ミシェルへのバスツアー。
一日の約半分を移動に費やすことになり、日帰りだと滞在時間が短いので宿泊する人も多いようだ。

6時前に眠い目を叩き起こし、前日に用意しておいた荷物を持ってメトロへ飛び乗り、オペラ座近くのマイバスという旅行代理店の前に集合場所へ急ぐ。朝食と睡眠は移動中にとれば良いのだ。
まだうっすらとブルーに包まれた暗いパリの街を歩き、問題なく受付を済ませ集合場所に到着しバスに乗り込むと、やはり人気ツアーのようで、8割ほどの座席が埋まっていた。
事前に知っていたことだけど、モン・サン=ミシェル訪れるのはほとんどが日本人だそう。天空の城ラピュタや塔の上のラプンツェルの島のモデルとも言われ、あのビジュアルの惹きつける魅力は万国共通だと思っていただけに驚きである。

7時過ぎに出発して5分ほど、ちょうどコンコルド広場のセーヌ川の横の大通りに出ようとするあたりで、ドンっという衝撃でバスが止まった。バスの右折しようとしたバスの内側にバイクが衝突したようだ。自分はバスの右側に座っていたのでその音や衝撃がはっきりと伝わってきた。
おいおい、いきなり大丈夫かと思いつつ、幸いなことに軽い傷がついたくらいで20分~30分ほどで示談交渉が終わり、またバスが出発する。
この程度の事故はパリではよくあって、あとは保険会社に任せるので安心してくださいとのこと。
ガイドさんが、このバスは二人体制で運行されていてそれはフランスの法律で決められているなど、運行の安全面やパリの歴史についてもいろいろ解説してくれて、それを聞きながら朝ごはんを食べ高速道路に入る頃にはとりあえず眠ることにした。

バスの車内にはWi-fiもあるので、退屈な移動時間をバナナムーンゴールドのポッドキャストを聞いたりガイド本を読みながら過ごす。
車窓に映るのはひたすらまっすぐに伸びた道と森と田畑、その合間にポツンポツンと家があり時折IKEAが見えるくらい。


しかしその街路樹を見ていると、森の木にはマリモのような、丸い鳥の巣のような塊がいくつも見える。あまりにもその数が多いので気になって調べてみると、宿り木といって木に寄生している植物のようでフランスの郊外ではよく見かけられる光景だそうだ。確かに、何かの古い絵画で観たことあるような記憶がある。

ケルト神話ではヤドリギは「聖なる木」とされていて、悪霊、悪運を遠ざける言われているので、フランスでは新年を迎える時にヤドリギのリースを玄関の扉に飾る家もあるようだ。木から葉が落ちてもなお、寄生して存在するその不思議なその光景から、なんだか魔力のような神秘的なオーラを感じ取れる光景だった。

10時頃には休憩のためにオン・フルールという港町に到着。時間が押していたので30分くらいのわずかな時間しかなかったけど、港に小型船が停泊するその脇に並んだ家屋の愛らしさは本当に絵本の世界のようだ。印象派の画家たちの題材になったというのも頷ける。

昼前いよいよバスが高速道路を降り、畑の中の道を走っていくと時折海が見えるようになってきた。するとぼんやりと緑の畑の向こうに、マイケル・ケンナのあの写真のように、見覚えのあるシルエットが浮かび上がってきた。それはどんどんと近づいてきて、確信するとガイドさんが間も無く到着する旨を伝えてくれた。

空気が綺麗で、とても静かな場所にバスがとまる。まずは「ル ルレ サン ミッシェル」というホテルのレストランでのランチタイム。
このホテルはおそらく一番島に近い場所に建てられていて、大きな窓からは遮るものが何もなく悠然とした修道院の姿が見える。

ランチは、名物のオムレツが前菜でサーモンのムニエルとパン、これもフランス名物のシードルにデザート、というコース。
あんまり時間をかけて食べていると、見学時間が少なくなってしまうので、せわしなくふわふわのオムレツを堪能し、いよいよ島へ渡る。
(実はこのオムレツ、東京国際フォーラムに支店があって東京でもたべれるんですよ

島へは無料のシャトルバスで渡る。
ガイドさんの話によると、以前は陸続きで車で行けるようになっていたが、潮の満ち引きで周囲に土砂が溜まってしまうのが問題となっていて、そこでかつての姿のように島への道を取り壊し橋をかける工事が2009年から始まり、ようやく橋がこの年(2014年)に完成したばかりだそう。

おそらく景観の美観のために、2km手前までホテルや駐車場などの建物や人工物がないようになっているので、どこからでも空と水平線と島が綺麗に見える。ちなみに馬車でも渡れるようだが、バスの倍の時間がかかるので絶対に乗らないでくださいと言われていた。

高まる期待感を抑えながら10分弱でバスは入り口のかなり前で止まりそこから歩いて向かった。
空に二匹の獅子?が描いてある赤い旗が、静かにはためいている。

 

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地だった。モン・サン=ミシェルとは「聖ミカエル山」という意味で、708年、司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルからお告げを受け、ここに小さな礼拝堂を作ったのがこの島の起源。

そして966年にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になった。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。崩壊と修復を繰り返した歴史を見ていたかのように、尖った修道院の頂点にあるミカエルの像が今もなお、世界を見守っている。百年戦争時には要塞としても使われていたり、フランス革命後には監獄として歴史もあるように、確かに下から見上げると確かに要塞のようで、今も修復工事が繰り返されている。

帰りのバスの時間を確認して門をくぐり中に入ると、参道にはカフェやお土産やさんが並んでいて、その脇にポツンと教会があったり、中世の街にタイムスリップしたかのような、ドラクエのような街並みに気分がどんどんと上がってくるのを感じる。ぐるぐると螺旋状になっている坂を登り続け、いよいよ修道院の中に入る。

 

修行のための修道院というだけあり、中はかなり質素な造りでパリの教会のような、豪華な煌びやかさはあまりない。

主要部はゴシック様式だが、修復を繰り返しているので内部はゴシック様式やロマネスク様式、ルネッサンス様式などさまざまな中世の建築方式が混ざり合っていて、細部の装飾もとても面白い。

大階段や西のテラス、食堂、騎士の間、迎賓の間、中庭の回廊、城壁そして礼拝堂に刺す自然の光と建築の美しさと、ここで修行する修道士の姿を想像すると、その歴史の深さにハッとすることが何度もあった。

窓から外を見ていると、干上がったサン・マロ湾と雄大なノルマンディー地方の大地が見える。確かに俗世間から隔離されたここで修行をすれば、何かの悟りが開けそうな感じがする。



じっくりと見ていると時間はあっという間に過ぎていき集合時間が近づいてきたので、お土産屋さんでワッペンと名産の塩を買い、急いでバスに乗った。
ライトアップされた夜や潮の満ちた朝のモン・サン=ミシェルはもっと美しいのだろう。名残惜しいけど、不思議な達成感と満足感が胸に残った。
バスの中から見えなくなるまでずっとそのシルエットを見て、車内で泥のように眠る。

途中ガソリンスタンドに一箇所だけ寄り、パリに戻ったのは、すっかり夜も更けた21時前だった。
長距離移動もあり、お腹はペコペコ。この辺りはパリ初日に来た日本食の多い地域だったので、来々軒という中華料理屋さんへ
広東麺とチャーハンを食べる。冷えた体に町中華的なメニューがとにかくうまい。米も久しぶりだったし、何よりアツアツで染みる。

ちょうど時間が22時の点滅に間に合いそうだったので、急いで会計を済ませてコンコルド広場の近くのセーヌ川のほとりに腰掛けてエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見た。セーヌ川に街のライトが反射してとても綺麗だった。なんでロマンチックな光景だろう。ハドソンリバー、テムズ川、隅田川、世界のどこにいても僕は川沿いの都市の風景が好きだ。
明日は最終日、夕方にはパリを出発するのこれが最後のシャンパンフラッシュになると思って、心に焼きけた。

カテゴリー: Trip

20141126 DAY 6 – Musée du Louvre –

6日目

旅の疲れもたまってきて、少し遅く起きる。
眠い目をこすり冷蔵庫からオレンジジュースとヨーグルトを取り出し、それをクロワッサンとバナナを一緒に流し込む。

窓からエッフェル塔が見えると、ああ今パリにいるんだということを自覚させる。この日はルーブル美術館のある1区周辺、セーヌ川を挟んだエリアで過ごす。

 

メトロに乗ってパレロワイヤル・ルーブル美術館駅の階段を上がると、フランス国旗がライトグレーの空に揺れていた。
館の横を走るリヴォリ通りには無駄な広告など一切なく、周辺の重々しい建造物からもルーブルの威厳を感じさせる空気が始まっている。建物が歴史を武器に威圧してくる。

それもそのはず、ルーブル美術館はルネサンス様式のルーブル宮殿をそのまま美術館として利用していて、建物そのものが世界最大級の史跡となっている。
3万5000点以上のコレクションを抱え、年間の来場者は800万人を超え世界一入場者が多く有名な美術館といっていいだろう。
城門のような巨大なエントランスをくぐり、噴水に囲まれた透明なピラミッドが見えてくるだけでテンションがあがる。来ている人もやはりヒップで洒落た人がたくさんいる。

1日の来場者が3万人くらいでチケットは当然長蛇の列なのだけど、ミュージアムパスを事前に購入しておいたので、スムーズに入館できた。ピラミッドの中は巨大な吹き抜けになっていてそこから3方向に展示室が伸びている。
豪華絢爛な館内はとても広く、そこもかしこも美術品でいっぱいだ。全てを見るのは不可能なのであらかじめ何点か見たいものを決めていた。

 

 

NIKEのロゴの元になったという「サモトラケのニケ」は階段の踊り場にあった。ギリシャのサモトラケ島で発見された2000年以上前の彫刻が今もなお目の前にあるという奇跡に興奮する。頭部と果たしてどんな顔をしていたのだろう。その後も「ミロのビーナス」や「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」などを立て続けに名作が出現する。

「ナポレオン1世の戴冠式〜」はあまりの絵の大きさに呆気にとられ、日本に来た時に見たこともあるドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」を15年ぶりくらいにみてフランス革命の片鱗を感じる。

 

世界一有名な絵画の一つであるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」は「国家の間」という仰々しい名前の部屋が与えられている。中に入ると人だかりとロープに囲まれた3mくらい先に分厚い防弾ガラスに覆われたモナリザが見える。

一枚の絵のためにこれだけの広い部屋や距離がとられているのはやはり別格の扱い。なぜこの一人の女性の肖像画のために世界中から人が来るのか。この絵が醸し出すカリスマ性や独特の雰囲気や憶測の数々は離れていても確かに伝わってきた。この部屋にはスリが多いと聞いていたけれど、特にそれらしい人は見当たらなかった。

 

絵画の前で模写をしている人がたくさんいるのもこの美術館の特徴だろう。美術という文化とても身近で国民に根付いているように感じられた。

迷路のような館内を3時間ばかり見学し、昼時でどこも混んでいたので館内にあるPAULでランチ。
PAULは日本にも店舗がたくさんあるけれど、本場のお店に入るのは初めてだった。サンドイッチのセットを注文し、硬いバンズがとても美味しく、馬鹿でかいマカロンに奥さんもテンション上がる。
セットで頼んだFINLEYというジュースもとても美味しい。
歴史的な美術品と洗練された空気に圧倒され余韻に浸りながらメトロに乗り込んだ。

 

一つ先のシャトレ駅で降り、シテ島のノートルダム寺院へ。
上に登る階段は閉まっていたのでしまったので、1階のだけ館内を見学した。ステンドグラスの鮮やかな感じや地元の人の熱心に信仰する姿、そして厳かな雰囲気さすがは世界遺産。
ここも2019年に焼失してしまったので、今思えば行っておいてよかったなと思う。

隣のカフェで珈琲を飲み休憩。そのまま東側へ歩き、サン=ルイ島に渡る橋を渡る。ここに来る人の目的のほとんどはベルティヨンのアイスを食べること。
この日もかなり寒かったけど並んでいるほど大人気で、メニューを決めあぐねていたら、店員に圧をかけられ急いで注文。セーヌ川のほとりで震えながら食べたが、味はもちろん絶品でした。

その後バスに乗って左岸に渡り、パリ大学へ。購買の場所がわからずに大学を一周して体力を削られてしまった。金プリントが売り切れていたけど無事お目当のフーディを購入し購買を出た頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

そしてそそくさと昨日も行った北マレ方面に移動MERCIというショップへ。可愛らしい建物の中に洋服、生活雑貨から本までとても好みのものがたくさんありすごくよかった。そしてPopelinで一口サイズのシュークリームを食べたり、ポワラーヌでは明日朝用のパン・オ・ショコラを購入。

すっかり夜なってきたので夕食はポンピドゥー・センターの近くにある、Le Bouledogue というビストロへ行く。一度くらい本場のフレンチを食べたいと思っていたので、勇気を出していってみた。
緊張しながらドアを開けてみると入ってみると笑顔のギャルソンに窓際の席に通された。フランスの飲食店はどこも席の間隔が狭く、荷物を置くスペースもないけど、ここなら周りの会話も気にせず食事ができそう。

とりあえずFischerビールを注文して、ちびちび飲みながら注文を考える。
そしてメニューが全部フランス語のプレッシャーに耐えきれず血迷ってなぜかステーキのタルタルとサーモンのタルタルを頼んでしまう。
「どっちもタルタルだけどいいの?」っていう反応されたけど、もう当たって砕けろのジャパニーズ精神である。

ステーキと書いてあったので焼いた肉っぽいのが出てくると思いきや、当然サーモンのタルタルのサーモンが肉に変わっただけの料理が運ばれてくる。。
これにグリーンサラダとポテトが付いてこの値段はかなり良心的だけど、どちらも量が多くこれ食べたら他のもの食べられなくなるよ。。というくらい。
ただ味はどちらもすごく美味しい。本当に美味しい。何もかもが違う。
2つのタルタルをなんとか食べたあと、どうしても大好物の本場の鴨のコンフィが食べたいという気持ちを抑えられずコンフィ・ド・カナール シルヴプレ。
これにもサラダとポテトついてくるけど食べる?と言われたけど、食べられないよとやんわり伝える。


そして出てきた鴨のコンフィはものすごく柔らかい肉と旨味、一口でこの旅一番の忘れられない味になった。僕がもしアナザースカイに出るのならこの一皿を紹介したい、そう思わせてくれるくらい素晴らしい料理だった。
注文は失敗したけれど、それでもいいと思わせてくれるくらい僕はこのお店が好きになった。

失敗も良い経験になるのが旅の良いところだと思う。

あとで振り返って笑い話が一つ増えると思えばなんでもない。
奥さんにこの失敗のことで10年後も笑って欲しい。
そんなことを思いながら帰路につく。

明日は最終目的地というべき場所へ行くものすごく楽しみな日。
早起きなので早めに就寝。

カテゴリー: Trip

20141125 DAY 5 – Versailles,BATACLAN –

5日目 ヴェルサイユ

前日に買ったクロワッサンやオレンジジュースを朝食に食べ、いそいそと準備。
最寄りのグルネルからメトロに乗り、セーヌ川のほとりにあるジャベルという駅で、Cラインに乗り換えてヴェルサイユ方面へ。


メトロとは異なるいかにも郊外に出る旅客用の車両に高揚しながら乗り込み30分ほどゆらゆら揺れてヴェルサイユに到着。

駅前のカフェでコーヒーを買い、馬車でも通りそうな壮観な並木道をコーヒーを飲みながら顔はめパネルで写真を撮ったりして浮かれて10分ほど歩いて行くと、ルイ14世騎馬像とご対面。その遥か向こうにものすごく馬鹿でかいヴェルサイユ宮殿が出現する。

黄金に輝く門をくぐるときも思い出すのはTake Away Phoenix。
フランス絶対王政の象徴的建造物として建てられた宮殿が、約300年経った今でも変わらない輝きを放っている。


鏡の回廊に入ると今まで体験したどの空間とも違う空気が流れていた。落ちてきたら死ぬのかなと思うほど巨大なシャンデリアがいくつもぶら下がり、仰々しい壁や天井の絵画はもちろん、テキスタイルで覆われた美しい家具やドアノブの装飾一つとっても、おそらく全てのパーツがこのために作られていることがわかる。豪華絢爛という言葉さえもチープになるほどに、煌びやかで細かな彩飾の一つ一つが、権威の象徴としての威厳を感じられる。当時の職人の技術やデザイン、哲学、クラフトが凝縮されているのが手に取るようにわかる。アジア系の団体客のうるさい声に邪魔をされながら、部屋に入るごとにその荘厳な一つ一つの描写に呆気にとられていた。

美しい噴水庭園を見に出てみると、ぐるぐるの唐草模様のように手入れされた緑と水平線の向こうまで続く噴水と水路、両側にはすっかり葉の落ちた森が広がっている。天気が良い夏に日になれば青い空と緑がもっと美しい調和を見せてくれるのは容易に想像できる。
外はめちゃくちゃ寒くて、思わず外の売店で暖かいコーヒーを買い、遥か遠くのその地平線を見つめながら、目をつぶるとcountdownのメロディが聞こえてくるようだった。
この辺りでPhoenixの4人が生まれたのだと思うと、あの4人から醸し出されるどのロックバンドよりも気品高い空気はここの出自によるものだと納得できる。今思うと観光用の馬車に乗って、もっと庭のエリアを探索すればよかったなとも思うけど、そんな気にもならないほど寒かった。

あまりの豪華さに呆気にとられた時間を過ごし、ヴェルサイユ宮殿を後にするともう昼食の時間はとうに過ぎていた。あまりの寒さに駅前のカフェに飛び込み、暖かいスープとサンドイッチを奥さんと感想を言い合いながら食べる。

PhoenixのLove like a sunsetという曲はヴェルサイユからパリに戻る道をスティーブ・ライヒを聴いていて影響を受けたというエピソードを思い出し、帰りの電車ではずっとライヒを聞き、車窓の両側に現われる森の樹々をぼんやりと眺めながらパリ市内に戻る。
まぁトマは車だから見えている景色少し違うのだけど、この森の中を中世の貴族も馬車で通っていたかと思うとなんとも優雅だ。

すっかり冷えた体を温めるためにアパルトマンで少し休むことに。1時間ほど昼寝をして休憩した後は、メトロで3区の北マレ方面へ。
サン・ポール駅で降りまずはラズ・ドュ・ファラフェルでファラフェルフードをテイクアウトして、早めの夜ご飯を食べる。野菜と肉がほどよく混ざっていてクリーミーなソースがとても美味しい。
この辺りはトレンドの発信場所としてファッションブランドを始め、多くのショップが軒を連ねている。

その後もレクレール・ドゥ・ジェニーで美しい色のマンゴーエクレアを食べ、個人的に昔から好きなSurface to airでTシャツを買い、FrenchTrottersなどを見て、

A・P・Cではこれからライブに行くというのに、日本では即完売だったNIKEとのコラボスニーカーを発見してしまい夫婦揃って即決購入。箱を捨てて靴を無理やりバッグに詰めて、そのまま北東側に歩くとヴォルテール通りとぶつかる角に今日のライブ会場であるバタクランがあった。

まだ前座のバンドが演奏中だったので隣のカフェで一杯飲んでから、初日にシャンゼリゼ通りのFnacのチケット売り場で購入したチケットを受付に渡して中に入る。日本でライブといえば基本コインロッカーに荷物を入れるのが定番だけどさすがはパリ、結婚式場のようにちゃんとコートや荷物を預けるクロークがあって、受付のお姉さんも笑顔で迎えてくれて安心して荷物を渡した。

フランスの歴史的建築物にも認定されるほどバタクランの歴史は古く1864年に建立されたそうだ。シノワズリを具現化したような奇妙な中国風の建物の中に入ると、2F席の赤い壁がぐるりとステージを囲み、天井が高いクラシックなダンスホールという感じの雰囲気。日本でいうと東京キネマ倶楽部にとても良く似ていて、入ってすぐに好きになった。

ドリンクを交換して、転換中のBGMをしばらく聴いていると本日の主役、イギリスのインディーロックバンド、Bombay Bicycle Clubが登場した。
バンドは当時、2014年の初頭に4th album「So Long, See You Tomorrow」をリリースし全英チャート一位を獲得、アルバムのツアーの真っ最中で脂が乗っている時期。2014年のフジロックにも出演していて日本での注目度は高い。
10年代のバンドらしくエレクトロニカやダンスミュージックにフォーキーなグッドメロディがセンス良く融合して、とてもよく聴いていたバンドなだけにこんな異国の地で観れることもとても嬉しかった。

アルバムと同様に「Overdone」のイントロが鳴り、ステージのバックには大きな5つの円形のオブジェクトが出現、そこにアルバムのアートワークの歩いている人のシルエットが回転する映像が映し出され、バンドのクールな世界観を演出する。ニューアルバムの曲を中心に、静かな曲と激しめの曲をバランスよく取り入れ「Luna」「Come to」「It’s Alright Now」「shuffle」「Feel」など代表曲を随所に織り交ぜるベストなセットリスト
何よりステッドマンのボーカルがとても心地よく、お酒が進む。アジア人はほぼ僕らしかいない中で見るライブは格別だった
朝からベルサイユを歩いて、とても疲れていたけれど結局アンコール最後の「Carry Me」まで堪能し大満足で外に出ると、外はさながら映画ミッドナイト・イン・パリのようなマレの街並み。とてもロマンチックで溶けそう。ほろ酔いで夜のメトロに少し緊張しながら乗り込み、ライブの余韻に浸り帰路につく。

一年後にこのバタクランであんなテロ事件が起きるとは、当然この時は思いもしなかった。

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