FIGHT FOR COVID-19

コロナ禍とはなんだろうか。

二月の中旬から仕事が在宅勤務になった。
その前から色々な危険性や海外の状況なども聞いていたけれど、幸い家にはマスクも消毒液もストックがあり、仕事は自転車通勤で基本的にデスクワーク。
普段から不特定多数の人との接触が少ない自分は、買い物と飲食店に行く時に手洗いと消毒をきちんとすれば感染リスクは物理的にもとても少ないと思っていた。インフルエンザや他の感染症に比べ、どれくらい危険度が高いのかいろんな説が飛び交う中で、結局気にしすぎると自分が精神的にきつくなるのであまり気にしない方がいい。

以前からマスク依存社会への疑問もあり(というかむしろマスク嫌い)、世の動きに逆張りしたくなる性格ゆえ、会社のデスクと家の往復を続けた。
ウイルスより経済の収縮により、自分の好きな場所、特に文化施設がなくなってしまうのが嫌だった。
小さい子供がいて、モニターやデスクもない自宅では、仕事のパフォーマンスははるかに落ちる。気が散って集中力が続かない。
オフィスの空間が好きだったのもあり、出社できないことは苦痛でしかなかった。

状況が変わり始めたのは三月後半。
台東区の永寿病院で院内感染が起き、都内の感染者が増え始めた緊急事態宣言が出るか出ないかの時。
流石にこれはもう自分だけの問題ではないと気づいた。

きっかけは些細なことだった。
部屋にあるテレビとブルーレイプレイヤーに繋いでいたHDMIケーブルをMacにつないで一日作業してみたら、まぁこれでやれないことはないなと感じた。
テレビ台とコーヒーテーブルをくっつけて即席の作業スペースを作った。腕が浮くので少し痛みが出るけどじきに慣れるだろう。
会社からもモニターの持ち出し許可が出たのでキーボード、ラップトップスタンドなどの周辺機材を会社から全て持ち帰った。
座椅子なのはまぁ妥協するとして、あれだけ嫌だった自宅勤務も受け入れると楽になった。

幼稚園がなくなりった子供も友達に会えない状態の中、昼間に話す時間ができた分、僕の仕事に興味が湧いているようだった。
オンライン授業をしたり、切り絵を作ったり、絵の具を試したり、家事を手伝ってくれたり、おやつを持ってきてくれたり、仕事を黙って横で見ていたり。
この間に補助輪を取って自転車に乗れるようになり、一人でシャンプーもできるようになった。
そういうのを横で観れる嬉しさのある反面、夕方家族と大声で喧嘩する日も少なくないけれど、今は家族でこの苦難を乗り越えることを優先して考えることにした。

仕事、食事、料理、家事、風呂、散歩、子供と遊ぶ、サイクリング、ドライブ、公園、スーパー、コンビニ、ギター
行動はこれの繰り返し。

時々配信されるライブやオンライン飲み会に顔を出し、可能な限りドネーションをする。
デスクに向かいデザインを作り、slackに向かいタイピング、分断された画面の映像に向かって話しかけ、黙々とプロジェクト管理ツールに重なったタスクを片付けていく。
フリーランスって多分こんな感じなんだろうな、となんとなく思う。
気づけばもう2ヶ月以上電車に乗っていない。
気晴らしにスパイスを買ってきてやりたかったカレー作りにチャレンジし、服はいつでも走りに行けるようにトレーニングウェア。
オンラインで観れるコンテンツは死ぬまでに見切れないほど溢れている。
グーグルカレンダーに予定を入れていくのが楽しみだったのが、中止にする可能性が高い未来には何の予定も作れない。

ただ、慣れてくるとこれはこれで良いなと思うこともある。
無欲だ。
自宅での生活が中心のSNSのタイムラインには嫉妬することもなく、欲望がだんだん剥がれていくように感じた。
ライブハウスへ爆音を体感しに行き、好きなお店を開拓し、美術館でモダンアートを見漁る、そんな生き方が懐かしく思える。
ただ波風が立たない分、ちょっとしたことですぐ怒ってしまうこともあった。

自然と10年前のリーマンショック後を思い出した。
家でひたすら架空のサイトのデザインを作っては壊しコードを書いて、お金がないので全て自炊、基本は無料のギャラリーに行くか、友人のライブに行く、サイクリングをする以外はなかったあの日々。
その当時の交際相手は今は家族となって支えてくれているが、本質は何も変わってないと思う。
変わっているのは、twitterやinstagramがあり、携帯がスマートフォンになり、オンラインで出来る行動が拡張していること。

果たしてあとどれくらいこの状況が続くのか、誰にもわからない。
しかし、この時間をただTVゲームやドラマを見て時間をやり過ごせる性分ではないので、自分に今何ができるのかをずっと考えている。
幸い仕事以外でいくつかのプロジェクトが動きはじめ、感染者もゆっくりと減少に向かっているのは確かだ。
GEZANの#WISHというドキュメンタリーを見て生きるとは何かを問う。
感情を最大限に動かすこと、自分にとってはそれだと思う。
その時まで手を動かし続け、この時間をいかにクリエイティブに過ごせるか。
自分にとってはそれが生きるということだ。
生きよう。

2020/5/31

カテゴリー: Days