Dissolve


8月
SHIFTBRAINでアニメーションの勉強会
デジハリでBEES & HONEY今村さんと元letters野間さんのブランドシンキングの特別講義
そしてDMMで Service x Design と立て続けに勉強会に行ってきた。

それぞれが全く違う分野のセミナーだったけど、技術の話からマインドベースの話、新たなる才能に出会うことも多くてとても良かった。
期末の提案ラッシュに加えて、夏休みの連休進行で分刻みのスケジュールをこなしている中で良い刺激になりました。

そんな中娘がすたすたと歩き始め、
HIATUSの新譜が本当に最高
SUMMER SONICで見たRADIOHEADも本当に最高だった。

ああ夏が終わる。
今年も富士山に登れなかった
5年ぶりにフジロックに行けなかった。
キャンプして川にダイブ出来なかった。

出来なかったこと沢山あるけど、時間は戻ってこない。
残暑もそろそろ終わって間の季節の東京には台風が毎日押し寄せている。
もうすぐ転職して1年が経つ。
1年前のPSDを見ればこの1年の成長内容がわかる。

感じているのは、それぞれの意識の違いや目標の差異を問題としているかどうか。
分業制のワークフローの中では各々の仕事を尊重していないと成立しないし、
ツギハギだらけの知識のもろさを露呈していることが多くなってきた。
小さいこのチームが名だたるクリエイティブプロダクションに打ち勝つために、
どう共有していけばいいかってことをずっと考えている。
代理店でなく制作会社であるために、品良く面白いことをやること。

そんな中この前の日曜日、著名な料理人の方が銀座に出店する際に密着するドキュメントを見ていたら
伸び悩む若手の料理人にシェフがこんなことを言っていた。

最低限今できる仕事を完璧にこなして空いた時間で自分の勉強をする、その繰り返しをしないと成長なんでできない。

僕の好きな先駆者たちはみんなそうして来たなと思うし、その姿を追って行きたい。
仕事で必要なスキルだけ上げたって人と同じ成長しか出来ないんですよね。
自発的に作りたいモノを作ってこそ、それが何処かで生きてくると信じている。

Melodic punk ,CINRA PORT, virus

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4年に一度の閏年の2016年2月
月の初めには目を雑菌にやられ、2週間結膜炎で半端なく充血した眼球に毎日目薬をさし苛立ちと格闘しながら繁忙期の仕事と格闘。
やっとそれが完治したと思えば月末には夫婦共々娘にウイルス性腸炎を移され、体調不良中の育児の辛さを実感。
壊滅的な状況の中なんとか納品を終えました。

そんな中2/24にCINRA PORTに参加して来ました。
僕が専門学校時代にバイトしていた某ベンチャー企業のオフィスの後に、CINRAさんのオフィスが入居したのも乗っかってとても行きたかったのですが、運良く当日補欠枠が空いて行くことができました。

登壇は世界のSHIFT BRAIN 鈴木さん、AID-DCC田口さんにCINRA井手さん。
野球で言えばイチロー、松井、ダルビッシュみたいな豪華すぎ布陣。
内容も「デザイン×コンテンツ」「デザイン×エンジニアリング」「デザイン×インスタレーション」スペシャリストならではの素晴らしい内容と美しいスライドでとても興味深く聴かせていただきました。

その後の交流会では、人見知りを振り絞り様々な方とお話が出来た。
その数日前には渋谷某所で「青春のメロコア・スカコアを愛でる会」というのがあって、web界隈のメロコア好きの方々と郷愁的なモッシュをかましていたのだけど、そこで知り合ったテルさんのアテンドもあり、様々な方と交流することが出来ました。
名刺が無くなってしまったというのは初めてのことで、自分たちが抱えている課題のことも含めとても良い話が出来たと思います。

自分はこの仕事のこういう雰囲気が好きで何度か勉強会には通わせていただいてるのだけれど、そこ出て来たフィードバックを良い仕事に正しく変換して行こうと思います。
というわけで、一番聴きたい人に一番聴きたかった話を聞く機会を下さったCINRAさんに感謝です。
絶対また参加させていただきます:)

2015 – 2016

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12月生まれということもあって年の瀬に色々と考えをまとめることが多い。
最低だった2014年への逆襲とするべくスタートした1年。
最低限の目標であり2年越しの念願だった転職も出来て、引っ越して、子供が生まれてと、トピックはとても多くて
2014年が10点だとすれば85点くらいはあげられる年だったと思います。
でもようやく次のスタートラインにただ立てただけなので、来年以降もっとシビアに結果と向き合って行くことになって行くし、ただ自分のマイルストーンになったことは確かで、今はそこから始まる未来に向けてひたむきに頑張ろうと思っています。
思えば20代の頃はあまり仕事関係では良い縁がなかったのだけど、一緒に面白そうなことが出来そうな出会いもあって、課題も多いけど環境を作っていくのを楽しみながらやりたい。もっともっといい仕事がしたいということと、楽しいことを作りたいという欲求は変わらないです。
具体的な報告が一つでも多く出来れば良いです。

娘が帰京してひと月が経ち、子育てと言う未体験の生活の中にもまだまだ思うところがあって、
優先順位が変わるとよく言うけれど、全てにそれが言えることなのかなぁと思う。
確かに日々諦めることやまた違うバランスが生まれて来てはいるけれど、
暗中模索しているどこかに自分なりの時間の作り方があるはずだし、
尊敬するクリエイターの人達は子育てと仕事を両立している人が多くて、絶対にそこにも憧れと渇望があって
帰結するにはまだまだ時間はかかりそうだけど、そういうことと葛藤しながら新しく挑戦して行かなければならないなぁとも思う。
悦びが大きいことももう実感しているし。
と、まぁそんなことを長女を抱き抱え年の瀬の浅草を散歩しながら考えていました。

9連休を頂いた訳だけれど当然何処かに行ける訳でもなく、相変わらず友人が遊びに来てくれるような人望もないので、TBSラジオを聴きながら粛々と年を越しました。
昨年お世話になった皆さん、少しでも気にかけてくれた方、
力を貸してくれた方、一緒にくだらない話で笑えた方、
皆さん本当にありがとうございました。
毎年言いたいことは一つだけで、
今年も共に良い時間を共有出来ればいいなと思うばかりです。
宜しくお願い致します。

2016 元旦

Hello world

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あっという間に3週間が経って行きましたが、10月30日に無事第一子が生まれました。
2986gの元気な女の子です。

僕は最悪のその下まで想定して物事を進めて行くタイプなので、
先輩お父さんたちから色んな出産エピソードを聞いてあれこれ考えていましたが、
蓋を明けてみればかなりの短時間で生まれたので出産の瞬間には立ち会うことが出来なかったものの、
無事に生まれたことが嬉しくて今はとてもほっとしています。

その日の朝、奥さんから出血があって少しお腹が痛くなってきたとLINEが入り、
状況をやり取りしながらも僕は会社でデザイン制作に追われていました。
予定日の10日も前のことだったのでこんなに急に来るものかと疑っていたのだけど、
昼過ぎにもそれが収まらず病院に向かいそのまま分娩室に入ったとの連絡が入りました。
そのとき僕はとある写真撮影をしていて、急いでそれを済ませて上司に報告をして会社を出ました。
ディレクターが黙って頷いて強く僕の手を握ったので涙が出そうでした。

そのまま羽田に向かったらもしかしたら間に合ったのかもしれないと今思えば思うけれど、
3日に祝日があって長期滞在になることを考えて一度家に帰り、急いで荷物をトランクに詰めて羽田へ。
最終便の飛行機で秋田に向かうも時間的にレンタカーも借りられず、そこから病院に向かう手段がほとんどなく、
冷静さを欠いていたせいか乗り換え検索も中々見つからずかなり苛立っていました。
義母から”今生まれたよと”メールが来たとき、
僕は秋田空港から秋田駅ヘ向かうバスの中にいて、何とも言えない感覚が自分を包みました。
窓から見える真っ暗な山の輪郭の向こうに浮かんだ月がとても綺麗でした。

羽越本線を乗り継ぎタクシーが病院に到着したのは23時すぎで、急いで分娩室に向かいました。
中に入ると妻も既に起き上がっていて元気に迎えてくれ、
僕は性別を聞いていなかったのですが、女の子だよと伝えてくれました。
生まれて間もない我が子を初めて抱き小さなその手を握ったとき、
この手が大人になるまでどんどん大きくなるのを想像しながら希望を持って生きていって欲しいと強く思いました。
そしてどんなに困難なことも3人で乗り越えて行こうと固く誓いました。
その不思議な感触の重さを僕はずっと覚えていようと思います。

その後4日間は、妻の実家から朝9時のバスに乗り病院に通う日々。
おむつを替えたり、ミルクをあげたり、一緒に御飯を食べたり夕方まで一緒に過ごし、
休みでもなく仕事でもなくとても穏やかな日々でした。
おばあちゃんになった実母もはるばる見に来てくれてとても嬉しそうでした。

次の日に東京へ帰るという日に病院から命名書をもらったので、
近所のダイソーで墨汁と硯と筆を揃え、新聞紙を床に敷き詰めて命名書に名前を書きました。
“汀に咲く”と書いて汀咲(なぎさ)と言う名をつけました。
理由をここで書くのは無粋なので書きませんが、僕の趣向がわかっている人はすぐわかります。
女の子だったらこれにしようという名前が3つほどあったのですが、
バスの中でメールが入った瞬間その曲を聴いていたのが決定的でした。
凛とした強さと優しさを持った女性に育ってくれればいいなと思います。
しなやかなあの歌のように。

11/21

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Withdrawal

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約4年勤めた会社を辞めました。

というか正しくはやっと辞めれたって言う思いが強いので、
よくある退職エントリのようなとってつけた様な文章は一切書く気はなくて、
お世話になった方々へ想いの丈は直接送らせていただきました。
その当人達が色々感じてくれればそれで良いと思います。

4年間組織に所属しながらフリーランスみたいな働き方をしてきたけどデメリットが多くなってきた、
というか元々多いのはわかっていたのだけどそういう形でしか需要がなかったんですよね。
当時の実力では。
ただ幾ら面白い勉強会やハッカソンに参加したり、日々のインプットや素晴らしい本を読んで爆発的にモチベーションが上がっても、
90°くらい別の角度の仕事が机上には待っていて、そことのギャップに悩んでいました。
個人で仕事を請け負ってみてもその差を埋めるのは中々難しくて、
その2つの自分を維持する負担も少なくはなかったです。

直近のプロジェクトでは良い人達と一緒に仕事することが出来ていたのだけど、
自分の進みたい方向性とはベクトルが違っていたのも事実で、
“やりたい仕事をすること”と”一緒に仕事をしたい人と仕事をすること”を両立させることの難しさとか、
何処を優先して今後のキャリアを決めるべきかを何度も天秤にかけました。

そして順調に行けば、再来月には父親になるんです。
もう自分のためだけに働ける時間はとっくに終わっているけれど、
自分をより必要としてくれる所に心血を注ぎたいと思うのは当然のことだし、
どこにいてもそれを希求してしまうだろうなと思ったので、もう少し自分を信じてみようと思った訳です。
10月からは新しい場所でアートディレクターというものを目指して精進します。

今月いっぱいは休みなのでここ一週間は次なる人生のタームに向けて居を移しました。
さらば世田谷。豪徳寺はとても良い街だった。
5年8ヶ月を振り返ると苦しかったことばかりだったけど、楽しいことも学べた事も沢山あった。
で、それに伴う断捨離とか環境の構築とか事務作業とか合間に挨拶しに行ったり
仕事したり国会前に行ったりを怒濤のようにこなしていた訳で、
つまりもう子育てと転職と転居が同じフォルダに入ってる未確定の未来に突入していて、
ここ一ヶ月はとても混沌とした状態で時間が流れていたのだけど、
全てを受け入れたのでこのままずっと混沌としたままて進んで行くんだろうなと思います。

で、その断捨離の中で見つけた6年前の日記に

“過去にとらわれる者は未来を失う”

っていう走り書きを見つけて、とてもハッとしました。
矛盾だけど泥沼だった過去の自分が今の自分に向けて書いたような気がして。(元ネタはチャーチルの名言
そんなここ半年でした。
安保法案改正反対です。

“If we open a quarrel between the past and the present we shall find that we have lost the future.”

9/17