2015 – 2016

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12月生まれということもあって年の瀬に色々と考えをまとめることが多い。
最低だった2014年への逆襲とするべくスタートした1年。
最低限の目標であり2年越しの念願だった転職も出来て、引っ越して、子供が生まれてと、トピックはとても多くて
2014年が10点だとすれば85点くらいはあげられる年だったと思います。
でもようやく次のスタートラインにただ立てただけなので、来年以降もっとシビアに結果と向き合って行くことになって行くし、ただ自分のマイルストーンになったことは確かで、今はそこから始まる未来に向けてひたむきに頑張ろうと思っています。
思えば20代の頃はあまり仕事関係では良い縁がなかったのだけど、一緒に面白そうなことが出来そうな出会いもあって、課題も多いけど環境を作っていくのを楽しみながらやりたい。もっともっといい仕事がしたいということと、楽しいことを作りたいという欲求は変わらないです。
具体的な報告が一つでも多く出来れば良いです。

娘が帰京してひと月が経ち、子育てと言う未体験の生活の中にもまだまだ思うところがあって、
優先順位が変わるとよく言うけれど、全てにそれが言えることなのかなぁと思う。
確かに日々諦めることやまた違うバランスが生まれて来てはいるけれど、
暗中模索しているどこかに自分なりの時間の作り方があるはずだし、
尊敬するクリエイターの人達は子育てと仕事を両立している人が多くて、絶対にそこにも憧れと渇望があって
帰結するにはまだまだ時間はかかりそうだけど、そういうことと葛藤しながら新しく挑戦して行かなければならないなぁとも思う。
悦びが大きいことももう実感しているし。
と、まぁそんなことを長女を抱き抱え年の瀬の浅草を散歩しながら考えていました。

9連休を頂いた訳だけれど当然何処かに行ける訳でもなく、相変わらず友人が遊びに来てくれるような人望もないので、TBSラジオを聴きながら粛々と年を越しました。
昨年お世話になった皆さん、少しでも気にかけてくれた方、
力を貸してくれた方、一緒にくだらない話で笑えた方、
皆さん本当にありがとうございました。
毎年言いたいことは一つだけで、
今年も共に良い時間を共有出来ればいいなと思うばかりです。
宜しくお願い致します。

2016 元旦

カテゴリー: Days

Hello world

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あっという間に3週間が経って行きましたが、10月30日に無事第一子が生まれました。
2986gの元気な女の子です。

僕は最悪のその下まで想定して物事を進めて行くタイプなので、
先輩お父さんたちから色んな出産エピソードを聞いてあれこれ考えていましたが、
蓋を明けてみればかなりの短時間で生まれたので出産の瞬間には立ち会うことが出来なかったものの、
無事に生まれたことが嬉しくて今はとてもほっとしています。

その日の朝、奥さんから出血があって少しお腹が痛くなってきたとLINEが入り、
状況をやり取りしながらも僕は会社でデザイン制作に追われていました。
予定日の10日も前のことだったのでこんなに急に来るものかと疑っていたのだけど、
昼過ぎにもそれが収まらず病院に向かいそのまま分娩室に入ったとの連絡が入りました。
そのとき僕はとある写真撮影をしていて、急いでそれを済ませて上司に報告をして会社を出ました。
ディレクターが黙って頷いて強く僕の手を握ったので涙が出そうでした。

そのまま羽田に向かったらもしかしたら間に合ったのかもしれないと今思えば思うけれど、
3日に祝日があって長期滞在になることを考えて一度家に帰り、急いで荷物をトランクに詰めて羽田へ。
最終便の飛行機で秋田に向かうも時間的にレンタカーも借りられず、そこから病院に向かう手段がほとんどなく、
冷静さを欠いていたせいか乗り換え検索も中々見つからずかなり苛立っていました。
義母から”今生まれたよと”メールが来たとき、
僕は秋田空港から秋田駅ヘ向かうバスの中にいて、何とも言えない感覚が自分を包みました。
窓から見える真っ暗な山の輪郭の向こうに浮かんだ月がとても綺麗でした。

羽越本線を乗り継ぎタクシーが病院に到着したのは23時すぎで、急いで分娩室に向かいました。
中に入ると妻も既に起き上がっていて元気に迎えてくれ、
僕は性別を聞いていなかったのですが、女の子だよと伝えてくれました。
生まれて間もない我が子を初めて抱き小さなその手を握ったとき、
この手が大人になるまでどんどん大きくなるのを想像しながら希望を持って生きていって欲しいと強く思いました。
そしてどんなに困難なことも3人で乗り越えて行こうと固く誓いました。
その不思議な感触の重さを僕はずっと覚えていようと思います。

その後4日間は、妻の実家から朝9時のバスに乗り病院に通う日々。
おむつを替えたり、ミルクをあげたり、一緒に御飯を食べたり夕方まで一緒に過ごし、
休みでもなく仕事でもなくとても穏やかな日々でした。
おばあちゃんになった実母もはるばる見に来てくれてとても嬉しそうでした。

次の日に東京へ帰るという日に病院から命名書をもらったので、
近所のダイソーで墨汁と硯と筆を揃え、新聞紙を床に敷き詰めて命名書に名前を書きました。
“汀に咲く”と書いて汀咲(なぎさ)と言う名をつけました。
理由をここで書くのは無粋なので書きませんが、僕の趣向がわかっている人はすぐわかります。
女の子だったらこれにしようという名前が3つほどあったのですが、
バスの中でメールが入った瞬間その曲を聴いていたのが決定的でした。
凛とした強さと優しさを持った女性に育ってくれればいいなと思います。
しなやかなあの歌のように。

11/21

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カテゴリー: Days

Yakushima

九月の後半に屋久島に行って来ました。

死ぬまでに行く場所リストの一つだった屋久島。転職するまで半月の休みをどうすごすか考えていたら、その一つの千年杉を見に行くことにした。
それは次の月に出産を控えていた奥さんと同じくらい辛いことを自分に課す必要があると思ったのと、次のステップに進む自分へのけじめとして。
父親になるとなかなか1人旅もできないと思うし、最後の記念になることをしようと思った。

初日
成田空港から、ジェットスターで鹿児島空港へ。PARTYがクリエイティブディレクションしたという第3ターミナルは、電車を降りてから遠かったけど、陸上トラックのようなデザインが面白くてスイスイ歩いてしまった。
そして朝7時から搭乗できずにカウンターでもめている人に遭遇。これがLCCかという現実も見せられた。

昼前に市内ついて、しろくまと鹿児島ラーメンを食べ、屋久島行きのフェリーへ乗り島に着いたのは夕方。
ゲストハウスはピークを過ぎていたので結構ガラガラで個室状態だったので快適だった。









2日目
まずは白谷雲水峡へ。
登山用のウェアとステッキと靴をレンタルしてバスで登山口へ向かう。
屋久島は基本バス移動、東京のバスの値段を考えると結構高い。
とにかく霧、雨、湿気、屋久島は水が多く、原始的なそのせいで美しい苔や緑に覆われている森の中をひたすら歩いた。
頂上の太鼓岩の上からの風景は曇っていて何も見えなかったけど、まさにもののけ姫の世界。
美しい苔の森と霧の中、ほとばしるマイナスイオンに包まれてとても気持ちいい気分になった。ものすごく神秘的で本当に心が洗われるとはこのことだろう。













3日目
そしてメインイベントの千年杉へのツアー。
この日のことは1日だけでレポート書けるくらいの体験だった。
往復12時間以上ひたすら千年杉に向かって歩いた修行のような一日。

朝の4時に起き、弁当屋さんで弁当を受け取り、登山口へバスで向かう。
ガイドさんと合流し、10人ほどのツアーの面々とまだ暗がりの中を千年杉へ向かってスタート。
まずは昔木の運搬に使っていたレールの上を2時間ほど歩く。雨も降っていたので傘をさしながら黙々と歩く。

間隔がイレギュラーでとても歩きにくいし、レールの上を歩くなんてつまんねぇなと人生と重ねて考えてしまったり。
朽ち果てた木々や歴史を経て奇形した杉の木を見ながら沢山のことを考えた。











そうして到着した千年杉。
何百年も前からあるとされる、霧に包まれた巨大な大木は本当に幻想的で、ここまでこれた感動で胸がいっぱいになった。
安全面からもう少し遠い場所からみることになるそうで、この距離で見れるのもあと数年だそう。



滞在したのはわずか数十分だけど、一つの大きな達成感に包まれて、来た道を戻りながらまた色々なことを考えた。
ガイドさんに教えてもらったアイシングの方法で風呂に入り、ヤクシカの焼肉を食べて泥のように眠った。


4日目
最後の日は、海辺の温泉に入ったり、ゆっくりと島を移動して過ごした。
前の2日の充実度に比べるとこれと言ってないのだけど、海と山が共存した場所をゆっくりとまわった。
本当にこの場所を選んで良かったし、九州の大自然の姿は本当に好きでまたいつか来たいと思う。



2015/9/25-29

カテゴリー: Trip

Withdrawal

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約4年勤めた会社を辞めました。

というか正しくはやっと辞めれたって言う思いが強いので、
よくある退職エントリのようなとってつけた様な文章は一切書く気はなくて、
お世話になった方々へ想いの丈は直接送らせていただきました。
その当人達が色々感じてくれればそれで良いと思います。

4年間組織に所属しながらフリーランスみたいな働き方をしてきたけどデメリットが多くなってきた、
というか元々多いのはわかっていたのだけどそういう形でしか需要がなかったんですよね。
当時の実力では。
ただ幾ら面白い勉強会やハッカソンに参加したり、日々のインプットや素晴らしい本を読んで爆発的にモチベーションが上がっても、
90°くらい別の角度の仕事が机上には待っていて、そことのギャップに悩んでいました。
個人で仕事を請け負ってみてもその差を埋めるのは中々難しくて、
その2つの自分を維持する負担も少なくはなかったです。

直近のプロジェクトでは良い人達と一緒に仕事することが出来ていたのだけど、
自分の進みたい方向性とはベクトルが違っていたのも事実で、
“やりたい仕事をすること”と”一緒に仕事をしたい人と仕事をすること”を両立させることの難しさとか、
何処を優先して今後のキャリアを決めるべきかを何度も天秤にかけました。

そして順調に行けば、再来月には父親になるんです。
もう自分のためだけに働ける時間はとっくに終わっているけれど、
自分をより必要としてくれる所に心血を注ぎたいと思うのは当然のことだし、
どこにいてもそれを希求してしまうだろうなと思ったので、もう少し自分を信じてみようと思った訳です。
10月からは新しい場所でアートディレクターというものを目指して精進します。

今月いっぱいは休みなのでここ一週間は次なる人生のタームに向けて居を移しました。
さらば世田谷。豪徳寺はとても良い街だった。
5年8ヶ月を振り返ると苦しかったことばかりだったけど、楽しいことも学べた事も沢山あった。
で、それに伴う断捨離とか環境の構築とか事務作業とか合間に挨拶しに行ったり
仕事したり国会前に行ったりを怒濤のようにこなしていた訳で、
つまりもう子育てと転職と転居が同じフォルダに入ってる未確定の未来に突入していて、
ここ一ヶ月はとても混沌とした状態で時間が流れていたのだけど、
全てを受け入れたのでこのままずっと混沌としたままて進んで行くんだろうなと思います。

で、その断捨離の中で見つけた6年前の日記に

“過去にとらわれる者は未来を失う”

っていう走り書きを見つけて、とてもハッとしました。
矛盾だけど泥沼だった過去の自分が今の自分に向けて書いたような気がして。(元ネタはチャーチルの名言
そんなここ半年でした。
安保法案改正反対です。

“If we open a quarrel between the past and the present we shall find that we have lost the future.”

9/17

カテゴリー: Days

In your bed

久し振りにTOKYO ACOUSTIC SESSIONで大阪のバンド、And Summer Clubを撮影しました。

もともとthattaの友達だったチャーケンが去年の12月に下北で2年ぶりに再会して、「今僕バンドやってるんですよ」っていうのでsoundcloudで音源聴いて、じゃあやりましょうって流れ。
5月のGWに高円寺のスタジオドムでライブがあって、リハの合間の2時間だけ時間があったので蚕糸の森公園で撮りました。
その場の雰囲気とか、即興性を残しつつ夏っぽい絵になったんじゃないかと思います。
カメラの駒崎さんを始め、ギターを手配してくれたthattaのチカちゃんや鳴り物を貸してくれたつな、協力してくれた皆さんありがとうございました。
撮影中に声をかけてくれた高校生がそのあとライブに遊びに来てくれたり、若い子には良い刺激になったんじゃないかなーと思う一日でした。

8/1

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カテゴリー: Days