summer of Nagasaki

音楽好きはフェスの年号とともに歳をとる。
聞かれてもないのに年間のマイベストとか勝手に選んで自分のSNSに投稿する。
元号なんて役所の書類を書くときにしかつかわないし、毎回ググらないと覚えていないから、いまいちピンとこない「平成最後」というフレーズのついた夏が終わる。

そんな夏の終わりに、友人の結婚を祝いに遥々長崎という土地に初めて行った。
ソラシドエアで1時間半、空港を出ると両サイドは、はっとするくらい青い海と山に囲まれていてとても美しかった。

高校の頃、現代の授業で題材になっていた、遠藤周作「沈黙」や大学時代に読んださだまさしの「解夏」、佐世保は「69」の好きな小説の舞台になったいたこともあってとてもわくわくした。
空港から送迎用のバスに乗り、ハウステンボスへ。
ホテルに着き会場でせわしなく着替えや準備をして、ホテル内の式場へ。
奥さんの元同僚の友達と先輩という繋がりで10年以上仲良くさせてもらってる2人。
一緒にフジロックに行ってスコールに打たれてびしょ濡れになったり、二人暮らし時代毎年のように鍋をつついたり、今は亡きFabricaや三宿のクラブで夜を使い果たしたり、紹介制の秘密の焼肉屋に行ったり色んな思い出を思い出しながらその時間を過ごした。
2人を介して繋がった人たちと一緒に、家族であの場所に立ち会えたことがとても嬉しかった。
改めておめでとうございました。
すぐに飽きてしまうに2歳児のをあやしながらの時間でしたが、とても良い式だったと思う。

毎日21時に打ち上がるというハウステンボスの花火を見ながら行われた二次会のビンゴ大会では、なぜか一等を引いてしまうというミラクルが起きる。
僕はこの手のイベントで、一度もあたったことがなく前週から仕事でも全然いいことがなかった、この夏は喉風邪が長引いて辛かったのに、本当に人生はわからないし、神様の悪戯のようだ。
もらったApple Watchを左手に付けながら今、これを書いている。

翌日はハウステンボスから新潟から来た友人家族と朝食をとり、ハウステンボス駅からシーサイドライナーで長崎市内へ向かう。
寝息を立てる娘の横で大村湾の風景がただ美しくて吸い込まれるようにながめながら音楽を聞いていた。
子供が生まれてから子育てに追われて、奥さんの実家以外で関東県内を脱したのが久しぶりだったのもあって、夏の空がただ自分の現在地を映し出しているようで不思議な感覚だった。
綺麗な海と空が続いているというだけでとても気持ちが落ち着いた。

長崎に着き、駅ビルの回転寿司を食べて甘い醤油に九州を感じた後、路面電車でホテルへ向かう。
とても混み合っていたが、嫌がる子供に快く席を譲ってくれた。
夏の長崎市内はただ熱くて結局観光できたのは大浦天主堂と出島だけ。
夜にいった江山楼ので初めて食べた本場のちゃんぽんも海鮮パン麺も、いつも東京でたべるそれより、数倍コクがあって美味しかった。

帰りの飛行機に乗る前、空港でいつかの藤原新也のコラムで読んだ五島うどんを食べた。
地獄炊きというなぞのネーミングにざわつきながら、椿油でコーティングしてあるつるっとした独得の歯ごたえに、味わったことのない感触ってたくさんあるんだなと、僕の探究心をくすぐってくれたようで嬉しかった。

行けなかった平和公園や原爆資料館、軍艦島にはまたいつか。
また九州が好きになったよ。

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秋田について

14日の朝から秋田に来ています。
奥さんと娘は先に飛行機で来て、僕は2日遅れて夜行バスで後から合流という形。
明日の朝東京に帰る前に書いておいておきたいと思ってこれを書いています。

秋田県にかほ市
玄関を出て1分も歩けばすぐ海という環境は、子供を育てるにはあまりにも良い。
家に着いたら6時前だというのに庭のトマトを取りに娘が外に出て来て、そのまま海に散歩した。

太陽が昇る頃に起きて、朝ごはんを食べたら海を散歩して、日中は外に行き秋田のニュースを見ながら夕食を食べて、子供を寝かしつけたらすぐに寝てしまう。
そんな健康的な生活。
象潟では2年前から行きたかった木版画家の池田修三さんの作品をレンタサイクル(ありがたいことに無料!)で巡ったり、土田牧場やひまわり畑、TDKミュージアムの合間に海に行き、地元のお祭りに参加して、奥さんの友人家族と互いの子供を遊ばせて、花火を見て、未就学児を連れて遊ばせて回るにはあまりにも充実した連休を過ごした。

初めてここに来たのは26歳の時だった。
高速道路がどこまでいっても1000円だった2010年、それを利用する手はないと、9時間運転してここに来た。
アジカンのマジックディスクを多分10ループくらいしたと思う。
初めはどこにでもある地方都市だと思った。
海も山も近くにあって、田んぼの周りにイオンとコンビニが点在している。

今は無くなってしまった寝台列車あけぼの、飛行機、夜行バス、車で来る途中群馬で事故ったこともあった。。
手段を変えて何度も来るたびに、だんだんとこの街の魅力が自分に浸透して来たのがわかった。
そして2年前ここで娘が生まれて、僕にとって特別な街になった。

ただかつて商店のあった建物の痕跡が多いことは、少し気持ちを寂しくさせる。
壁に剥げ落ちた看板、廃墟になったホテル、だだっ広い空き地。
奥さんが子供の頃は、おそらくもっと栄えていたのだろう。
来るたびにいつも考えている。
中央と地方のあり方。
結局移り住むしかできないのか。
何かもう少しうまくPRする手はないのか。
空港や新幹線が通り、男鹿にも近い北秋田に比べて、
南秋田は交通の便は良くないし、派手な名物があるわけでもない。
冬は厳しいし、自殺率や人口減少率は…。

けれど
鳥海ジオパーク構想というのがもっと広がればいいなとか、
チームラボのインスタレーションができたとか、
TDKの業績が良いとか、
道の駅がリニューアルしたとか、
新しいお店ができたとか、
この街で懸命に暮らす人のニュースを東京で聞くたびに、少し嬉しくなっている自分がいる。

見渡す限りの空が美しい。
近所の爺さんもおばあちゃんもお店の人もみんな優しい。
日本海はいつも真っ青で、そこに降り注ぐ太陽の輝きはいつも変わらずにそこにある。
風車が山の上でビュンビュン回って気持ちいい風が流れている。
鳥海山から流れる水で作られる農作物はどれも美味しいし、
漁港で水揚げされた魚で握った近所のお寿司屋さんも美味しい。
1日の終わりには、日本海に沈む夕日が僕らを包む。
日が沈めば、空には東京の1000倍くらいの星が瞬く。

人間が清々しく暮らすにはそれで充分じゃないのか。
そんなことを思わせてくれる。

受け手の気持ちを考えずに投げつけられた言葉。
張り詰めた人間関係。
不要な通知の多すぎるSNSのタイムライン。
東京での面倒な悩みや仕事のストレス。
つまらない虚栄心や猜疑心。
本当にそんなことがバカバカしくなる。

いつか鳥海山の山頂まで登ろうと思っている。
子供も一緒に来てくれて、あつみのかりんとうを食べながら山頂でくだらない話をしたい。
その帰りには、笹乃井でつぶ貝を食べながら飛良泉で一杯やりたい。
ねむの丘の温泉に行くのも良いな。
風呂上がりには象潟の岩ガキを食べるんだ。
そんなどこの地方にでもある普通のことを無くしたくない。

あと何回来れるかわからない。
でもきっと、多分死ぬ前にここのことを思い出すだろう。
最近は来るたびにそんなことを想っている。

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Yakushima

九月の後半に屋久島に行って来ました。

死ぬまでに行く場所リストの一つだった屋久島。転職するまで半月の休みをどうすごすか考えていたら、その一つの千年杉を見に行くことにした。
それは次の月に出産を控えていた奥さんと同じくらい辛いことを自分に課す必要があると思ったのと、次のステップに進む自分へのけじめとして。
父親になるとなかなか1人旅もできないと思うし、最後の記念になることをしようと思った。

初日
成田空港から、ジェットスターで鹿児島空港へ。PARTYがクリエイティブディレクションしたという第3ターミナルは、電車を降りてから遠かったけど、陸上トラックのようなデザインが面白くてスイスイ歩いてしまった。
そして朝7時から搭乗できずにカウンターでもめている人に遭遇。これがLCCかという現実も見せられた。

昼前に市内ついて、しろくまと鹿児島ラーメンを食べ、屋久島行きのフェリーへ乗り島に着いたのは夕方。
ゲストハウスはピークを過ぎていたので結構ガラガラで個室状態だったので快適だった。









2日目
まずは白谷雲水峡へ。
登山用のウェアとステッキと靴をレンタルしてバスで登山口へ向かう。
屋久島は基本バス移動、東京のバスの値段を考えると結構高い。
とにかく霧、雨、湿気、屋久島は水が多く、原始的なそのせいで美しい苔や緑に覆われている森の中をひたすら歩いた。
頂上の太鼓岩の上からの風景は曇っていて何も見えなかったけど、まさにもののけ姫の世界。
美しい苔の森と霧の中、ほとばしるマイナスイオンに包まれてとても気持ちいい気分になった。ものすごく神秘的で本当に心が洗われるとはこのことだろう。













3日目
そしてメインイベントの千年杉へのツアー。
この日のことは1日だけでレポート書けるくらいの体験だった。
往復12時間以上ひたすら千年杉に向かって歩いた修行のような一日。

朝の4時に起き、弁当屋さんで弁当を受け取り、登山口へバスで向かう。
ガイドさんと合流し、10人ほどのツアーの面々とまだ暗がりの中を千年杉へ向かってスタート。
まずは昔木の運搬に使っていたレールの上を2時間ほど歩く。雨も降っていたので傘をさしながら黙々と歩く。

間隔がイレギュラーでとても歩きにくいし、レールの上を歩くなんてつまんねぇなと人生と重ねて考えてしまったり。
朽ち果てた木々や歴史を経て奇形した杉の木を見ながら沢山のことを考えた。











そうして到着した千年杉。
何百年も前からあるとされる、霧に包まれた巨大な大木は本当に幻想的で、ここまでこれた感動で胸がいっぱいになった。
安全面からもう少し遠い場所からみることになるそうで、この距離で見れるのもあと数年だそう。



滞在したのはわずか数十分だけど、一つの大きな達成感に包まれて、来た道を戻りながらまた色々なことを考えた。
ガイドさんに教えてもらったアイシングの方法で風呂に入り、ヤクシカの焼肉を食べて泥のように眠った。


4日目
最後の日は、海辺の温泉に入ったり、ゆっくりと島を移動して過ごした。
前の2日の充実度に比べるとこれと言ってないのだけど、海と山が共存した場所をゆっくりとまわった。
本当にこの場所を選んで良かったし、九州の大自然の姿は本当に好きでまたいつか来たいと思う。



2015/9/25-29

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20141128 DAY 8 – Montmartre –

2014 11/28 最終日

 

実は昨日からシャワーが出ない。
このまま帰国するまでにお湯が出なければ、日本の家に帰るまで風呂に入れないことになる。気温は毎日一桁なので流石に水で洗うのはためらう。
旅の最後に最悪の事態になるのは避けたいので、フロントにその意図を伝え、早朝のシャンゼリゼ通りに向かう。朝のシャンゼリゼ通りは、人も少なく綺麗な秋と冬の間の空気がすり抜けていた。


NIKEショップには何かの発売日なのか行列が出来ていて、DJがアップテンポのヒップホップを回していたので、少し様子を見ていると彼がMixCDを差し出してくれた。

わざわざ朝からシャンゼリゼへ来たのはラデュレで朝食を食べる為。
前もって決めていたパンペルデュと店員がお勧めのエッグベネディクトを注文。オレンジジュースを飲みながら貴族のようなラグジュアリーな内装の店内で、風呂に入っていない東洋人が絶品の朝食を食べる。とんでもなく美味いしテンションも爆上がりなのだけど、後にレシートを見て引くくらい、人生で一番高い朝食だった。

アパルトマンに戻ってもシャワーは治っておらず、日本に帰るまで風呂に入れないことが決定する。。。
仕方がないので震えながら体を濡れタオルで拭いて、真水で頭を洗う。旅の最後がこれかーっ。
まぁしょうがないけど水回りのインフラで日本に勝る国はないと思う。

部屋に出しっ放しだった荷物や着替え、お土産など荷物を片付けて、フロントにトランクを預けてチェックアウト。
飛行機までの時間はメトロでモンマルトルへ向かう。
モンマルトルはパリの北西部の18区、市内で一番高い丘の上にあるエリア。パリの下町と言われているけど、下町なのに丘の上にあるのもなんか不思議な感じだなーとも思う。芸術家が多く住んでいたと言われていて、映画アメリの舞台としても有名な地区。Phoenixもなんかのアルバムをこの辺りのスタジオで録音したといっていた気がする。

ブランシェ駅で降り、ムーラン・ルージュの横の道を上りアメリの舞台にもなっているカフェドドゥムーランを抜けて丘の上を目指した。
確かに可愛らしいお店でいっぱいだし、石畳の坂も風情がある。建物の合間からはパリの街並を見下ろすことができ、フォトジェニックなエリアだなと思う。ゴッホやピカソなど数数の芸術家が住んでいた街、というのもとても納得がいく。

昼時だったので、新宿や渋谷にも支店が2017年まであったゴントランシェリエでランチ、日本のお店よりもいささか質素な外観なのだけど、道ゆく人を眺めながら、サンドウィッチやパンをとても美味しくいただいた。
休む間も無く東側へ歩いて向かうと、ここに来る人のほとんどが目指すサクレ・クール寺院があった。


モスクのように上が丸くなっているのが特徴的な寺院の外観はなんとも愛らしい。下から見上げると青空と真っ白な建物の調和がとても綺麗だ。
寺院の前は、眼前にはパリの街一望でき、芝生でみんな思い思いの時間を過ごしている。

入り口に物乞いがいるのに戸惑いつつ寺院の中に入ると、また神聖な空気に包まれる。
鮮やかに描かれた天井の絵画やステンドグラスは細部までがすごく綺麗。教会の文化に普段触れていないけれど、それでも伝わるものが十分にあった。
中をひととおり見た後、上のドームへ上る階段も登ることができるので、6ユーロ払い、400段くらいの狭い階段をひたすら上った。
映画に出てきそうな本当に狭くて古くて閉じ込められそうな空間をひたすら登った先にはまた、ものすごい絶景が待っていた。

規制で高い建物がなく、100年を超えるパリの街並みの屋根のうねりが縦横無尽に延々と続いている。屋根をたどっていけばどこまでも行けそうだ。。いくつかの地点から放射状に広がったアベニュー。遠くに見える煙突から黙々と煙。それを見守る寺院のガーゴイルの彫刻。屋根の上で働いている職人さん。合間から見える木々。
そしてその真ん中に見えるエッフェル塔。反対側には一箇所だけ開発されたエリア、ラ・デファンスの巨大なビル群が見える。
静かなその風景を眺めているとこういう瞬間のために旅をしているんだなぁということをしみじみと感じた。他にほとんど人もいなかったし、とても静かな空気の中、この美観を守ることがパリ市の使命です。そんなことをこの美しい景色が語りかけているいるように感じた。
歴史が残っているということが、いかに都市としての哲学と秩序を守っているのかをまざまざと見せつけられたか感じがする。

東京にも江戸の文化は根付いているが、街並みはほぼ残っていない。木造で経年に耐えられないせいもあるし、地震が多く空襲で消失してしまった部分が大きい。なにせ歌舞伎座の上に巨大なオフィスビルを立てるような判断をしてしまうような国だ。
戦後復興の名の下に無計画にどんどんと自由に開発がされていった。そのごちゃ混ぜの感じが逆に固有の東京らしさとも言える景色を作ってきたのだけど、日本に古来からある引き算をベースにした侘び寂びという概念とは真逆であることは、日本を訪れるいろんなデザイナーが指摘している。
それが日本の面白さなのだろうとも思うけれども、歴史の重さにはやはり勝てないと思うしこんな美意識が当たり前に日常にあることがとても羨ましくもある。

坂を下り、A.P.C. SURPLUSをチラ見した後、メトロで16区へ移動。
この旅の最後を締めくくるのは、ピエール・ベルジェ財団()で行われているエディ・スリマンの写真展「SONIC」を見る。


ファッションデザイナーとしてはもちろん、フォトグラファーとしても超一流のキャリアを持ち、ミュージシャンとの親交も深い彼の作品は、ショーでは積極的に気鋭のインディーロックをBGMに使うなど音楽に関係する写真がとても多い。この展示でもポスターに使われているルー・リードを始めエイミーワインハウスなどの大御所からクリストファー・オーウェンスやTEMPLESなどの気鋭の若手までポートレートがずらっと並んでいる。いつもHEDI SLIMANE DIARYはチェックしているが、入り口で渡されたリストを見ながらこの数は流石に興奮を抑えられなかった。
平日だったこともあるのか、会場はほぼ貸切状態で写真を堪能することができた。もちろん写真は全てモノクロ。白い壁に黒い額装。黒一色空間の左右に延々と映し出されるスライドショーなどからも彼の美意識を全身で感じる時間だった。

最後にいくつかのお土産などの買い物を済ませ、アパルトマンにトランクを取りに行き、17時に空港へ向かう電車にのった。
19時にシャルル・ド・ゴール空港に到着。マクドナルドを少し食べて、21:00 パリ発東京行きの便に乗った。

いい女はべっ甲のメガネをかけている。みんなタバコ吸ってる。ギャラクシーが結構多い。メトロの白いタイルが素敵。カフェの間隔が狭すぎる。広告の金色のフレームがとてもかっこいい。誰もマスクなんかしていない。暖かい飲み物が貴重。石けんがいい匂いだからいつもより多めに手を洗う。
そんな断片的な思い出を振り返りながら、雲の上に出るまで美しいパリの夜景を上から見ていた。

リンドバーグが大西洋横断飛行をした時、「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだ景色はこんな感じだったのかとも思った。
帰ったら以前に見た、「パリ・ジュテーム」「ミッドナイト・イン・パリ」「パリ恋人たちの二日間」などの映画を観直したいという気持ちを抑えつつ、飛行機では当時まだ日本で未公開だったウディ・アレンの「マジック・イン・ムーンライト」を鑑賞。

間も無く東京に着くという頃、ちょうど夕暮れ時で、いつもの千葉県のゴルフ場群を過ぎると、眩い夕焼けが東京の街を照らしていた。
36時間風呂に入っていないことなど、とうに忘れるくらい、心は満足感でいっぱいだった。
またいつかこんな気持ちにさせてくれる旅ができるように、また東京で頑張ろうと強く誓った。

(※この旅行記は2020年8−9月に書いたものです。)

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20141127 DAY 7 – Mont Saint-Michel –

フランス西海岸、ノルマンディー地方南部のサン・マロ湾上に浮かぶ小島、モン・サン=ミシェルまでは、パリからは約360km、東京-名古屋くらいの距離。パリから往復のバスに乗って片道約4-5時間の距離にある。
この旅の一番の目的とも言っていい日、とても楽しみにしていたモン・サン=ミシェルへのバスツアー。
一日の約半分を移動に費やすことになり、日帰りだと滞在時間が短いので宿泊する人も多いようだ。

6時前に眠い目を叩き起こし、前日に用意しておいた荷物を持ってメトロへ飛び乗り、オペラ座近くのマイバスという旅行代理店の前に集合場所へ急ぐ。朝食と睡眠は移動中にとれば良いのだ。
まだうっすらとブルーに包まれた暗いパリの街を歩き、問題なく受付を済ませ集合場所に到着しバスに乗り込むと、やはり人気ツアーのようで、8割ほどの座席が埋まっていた。
事前に知っていたことだけど、モン・サン=ミシェル訪れるのはほとんどが日本人だそう。天空の城ラピュタや塔の上のラプンツェルの島のモデルとも言われ、あのビジュアルの惹きつける魅力は万国共通だと思っていただけに驚きである。

7時過ぎに出発して5分ほど、ちょうどコンコルド広場のセーヌ川の横の大通りに出ようとするあたりで、ドンっという衝撃でバスが止まった。バスの右折しようとしたバスの内側にバイクが衝突したようだ。自分はバスの右側に座っていたのでその音や衝撃がはっきりと伝わってきた。
おいおい、いきなり大丈夫かと思いつつ、幸いなことに軽い傷がついたくらいで20分~30分ほどで示談交渉が終わり、またバスが出発する。
この程度の事故はパリではよくあって、あとは保険会社に任せるので安心してくださいとのこと。
ガイドさんが、このバスは二人体制で運行されていてそれはフランスの法律で決められているなど、運行の安全面やパリの歴史についてもいろいろ解説してくれて、それを聞きながら朝ごはんを食べ高速道路に入る頃にはとりあえず眠ることにした。

バスの車内にはWi-fiもあるので、退屈な移動時間をバナナムーンゴールドのポッドキャストを聞いたりガイド本を読みながら過ごす。
車窓に映るのはひたすらまっすぐに伸びた道と森と田畑、その合間にポツンポツンと家があり時折IKEAが見えるくらい。


しかしその街路樹を見ていると、森の木にはマリモのような、丸い鳥の巣のような塊がいくつも見える。あまりにもその数が多いので気になって調べてみると、宿り木といって木に寄生している植物のようでフランスの郊外ではよく見かけられる光景だそうだ。確かに、何かの古い絵画で観たことあるような記憶がある。

ケルト神話ではヤドリギは「聖なる木」とされていて、悪霊、悪運を遠ざける言われているので、フランスでは新年を迎える時にヤドリギのリースを玄関の扉に飾る家もあるようだ。木から葉が落ちてもなお、寄生して存在するその不思議なその光景から、なんだか魔力のような神秘的なオーラを感じ取れる光景だった。

10時頃には休憩のためにオン・フルールという港町に到着。時間が押していたので30分くらいのわずかな時間しかなかったけど、港に小型船が停泊するその脇に並んだ家屋の愛らしさは本当に絵本の世界のようだ。印象派の画家たちの題材になったというのも頷ける。

昼前いよいよバスが高速道路を降り、畑の中の道を走っていくと時折海が見えるようになってきた。するとぼんやりと緑の畑の向こうに、マイケル・ケンナのあの写真のように、見覚えのあるシルエットが浮かび上がってきた。それはどんどんと近づいてきて、確信するとガイドさんが間も無く到着する旨を伝えてくれた。

空気が綺麗で、とても静かな場所にバスがとまる。まずは「ル ルレ サン ミッシェル」というホテルのレストランでのランチタイム。
このホテルはおそらく一番島に近い場所に建てられていて、大きな窓からは遮るものが何もなく悠然とした修道院の姿が見える。

ランチは、名物のオムレツが前菜でサーモンのムニエルとパン、これもフランス名物のシードルにデザート、というコース。
あんまり時間をかけて食べていると、見学時間が少なくなってしまうので、せわしなくふわふわのオムレツを堪能し、いよいよ島へ渡る。
(実はこのオムレツ、東京国際フォーラムに支店があって東京でもたべれるんですよ

島へは無料のシャトルバスで渡る。
ガイドさんの話によると、以前は陸続きで車で行けるようになっていたが、潮の満ち引きで周囲に土砂が溜まってしまうのが問題となっていて、そこでかつての姿のように島への道を取り壊し橋をかける工事が2009年から始まり、ようやく橋がこの年(2014年)に完成したばかりだそう。

おそらく景観の美観のために、2km手前までホテルや駐車場などの建物や人工物がないようになっているので、どこからでも空と水平線と島が綺麗に見える。ちなみに馬車でも渡れるようだが、バスの倍の時間がかかるので絶対に乗らないでくださいと言われていた。

高まる期待感を抑えながら10分弱でバスは入り口のかなり前で止まりそこから歩いて向かった。
空に二匹の獅子?が描いてある赤い旗が、静かにはためいている。

 

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地だった。モン・サン=ミシェルとは「聖ミカエル山」という意味で、708年、司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルからお告げを受け、ここに小さな礼拝堂を作ったのがこの島の起源。

そして966年にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になった。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。崩壊と修復を繰り返した歴史を見ていたかのように、尖った修道院の頂点にあるミカエルの像が今もなお、世界を見守っている。百年戦争時には要塞としても使われていたり、フランス革命後には監獄として歴史もあるように、確かに下から見上げると確かに要塞のようで、今も修復工事が繰り返されている。

帰りのバスの時間を確認して門をくぐり中に入ると、参道にはカフェやお土産やさんが並んでいて、その脇にポツンと教会があったり、中世の街にタイムスリップしたかのような、ドラクエのような街並みに気分がどんどんと上がってくるのを感じる。ぐるぐると螺旋状になっている坂を登り続け、いよいよ修道院の中に入る。

 

修行のための修道院というだけあり、中はかなり質素な造りでパリの教会のような、豪華な煌びやかさはあまりない。

主要部はゴシック様式だが、修復を繰り返しているので内部はゴシック様式やロマネスク様式、ルネッサンス様式などさまざまな中世の建築方式が混ざり合っていて、細部の装飾もとても面白い。

大階段や西のテラス、食堂、騎士の間、迎賓の間、中庭の回廊、城壁そして礼拝堂に刺す自然の光と建築の美しさと、ここで修行する修道士の姿を想像すると、その歴史の深さにハッとすることが何度もあった。

窓から外を見ていると、干上がったサン・マロ湾と雄大なノルマンディー地方の大地が見える。確かに俗世間から隔離されたここで修行をすれば、何かの悟りが開けそうな感じがする。



じっくりと見ていると時間はあっという間に過ぎていき集合時間が近づいてきたので、お土産屋さんでワッペンと名産の塩を買い、急いでバスに乗った。
ライトアップされた夜や潮の満ちた朝のモン・サン=ミシェルはもっと美しいのだろう。名残惜しいけど、不思議な達成感と満足感が胸に残った。
バスの中から見えなくなるまでずっとそのシルエットを見て、車内で泥のように眠る。

途中ガソリンスタンドに一箇所だけ寄り、パリに戻ったのは、すっかり夜も更けた21時前だった。
長距離移動もあり、お腹はペコペコ。この辺りはパリ初日に来た日本食の多い地域だったので、来々軒という中華料理屋さんへ
広東麺とチャーハンを食べる。冷えた体に町中華的なメニューがとにかくうまい。米も久しぶりだったし、何よりアツアツで染みる。

ちょうど時間が22時の点滅に間に合いそうだったので、急いで会計を済ませてコンコルド広場の近くのセーヌ川のほとりに腰掛けてエッフェル塔のシャンパンフラッシュを見た。セーヌ川に街のライトが反射してとても綺麗だった。なんでロマンチックな光景だろう。ハドソンリバー、テムズ川、隅田川、世界のどこにいても僕は川沿いの都市の風景が好きだ。
明日は最終日、夕方にはパリを出発するのこれが最後のシャンパンフラッシュになると思って、心に焼きけた。

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