2021→2022

そこにないようでたしかに存在していた、
そんな2021年が風のように過ぎ去っていった。

1年の4分の3は緊急事態宣言だった。自粛と生命の天秤の掛け合い。
ワクチンで対抗し始めた人類に対し、ウイルスは生存をかけて変異し続けるイタチごっこはまるで映画の中にいるようだ。
禁酒法のような政策に混乱し続け、沢山の娯楽や可能性を奪われ、サウナで虚しさを汗に変換させる。
不憫な飲食店にせめて協力したいと思い、できるだけランチはお店で食べるようにした。
新しい自転車で居場所を求めて街を駆け抜けても、街灯の消えた街はずっと暗いままだ。
言葉を発してはいけないライブの帰り、20時で飲食店が閉店するせいで暗闇の路上でビックマックにかじりついた時の侘しさは忘れられない。
一人暮らしの若い子達は毎日あんな感じだったのだろうか。

いくつもの分断を生み、狂乱の中強行されたオリンピックは様々なインフラや景色を変えた。
20時で消えていたスカイツリーや橋のライトアップも、五輪期間だけは煌々と点灯していた。
チケットを持っていたサッカーの日本vsフランス戦、合羽橋を聖火ランナーが走り抜ける姿を子供に見せてあげたいということも泡沫の夢に終わった。
開会式の前日、娘と区民プールに入っていたら5機のブルーインパルスが、夏の青空を切り裂くようにスカイツリーの真横を駆け抜けていった。
あれは白昼夢だったのだろうか。

滑り台の淵に膝を打ち、3日間歩けないこともあった。辛かったワクチンの副反応、数ヶ月治らない口内炎、ばね指の手術で手術台に登り、息子の夜泣きの大きさに眠れない日々が続いた。
朝起きれば大谷翔平がまたホームランを打ったニュースに驚き、思い出がたくさん詰まったSTUDIO COASTとZepp Tokyoがなくなる。
過去最高にきつかった個人案件は本当に精神的にこたえたし、休みがあまりなかったのでもう少し余裕を持ちたいとも思う。
会いたい人に連絡を取ろうと思ってやめて、会いたかった人に会えたこともある。
仕事の愚痴をこぼす相手もなく、その反動で可能性を探し続けた。いくつもの誘惑を断り答えを見つけた。
時流に左右されることなく発揮できる力をもっとつけなければ強く思う。

長すぎた緊急事態宣言が開け、仕事帰りにレイトショーで映画を観れたことが本当に嬉しかった。
息子が1歳になり歩くようになった。あっという間に離乳食が終わり、モリモリ食べて大きくなっていく。
娘の歯がどんどん抜けて、ランドセルを予約して、去年は出来なかった忘年会ができている。運動会の綱引きで優勝した。
車で流す僕の好きなバンドの曲を覚えてくれるのが嬉しくて、歌詞をひらがなにプリントアウトして一緒に歌った。
洋楽をこんなに聞かなかった年も珍しい、内へ内へとひたすら潜る旅が続く。
遠くへ行きたいと時に思い、Google mapを見ながら思いを馳せる。
夜、寝かしつけながら、日本と世界の国について、地球の成り立ちについて、宇宙と星について、娘といろんなことを話した。

思い出す微かな思い出も、一瞬で過ぎ去ったクラブハウスのブームのように、記憶に残る断片はこんなものだ。
今年リニューアルすると決めていたこのblogのデザインも、変えれないままでいる。
相変わらず12月の東京は綺麗で、街の明るさほど人は近くに感じないけど、思ってたより寂しくない
マスク越しの世界のまま、時間は淡々と過ぎ、昨年よりも確実に何かを取り戻している。
そこに置いて行かれないように年始からはまず個人プロジェクト周りをきちんと整えて、やりきれなかったことを含めてまた新しい挑戦に向けての準備をはじめたい。

年内に更新しなければならないと思いつつ、またこんなギリギリになってしまった。
2021年関わってくれた、画面越し、SNSを通して繋がってくれた皆さん、ありがとうございました。
2022年また笑ってお会いしましょう。

2021 1231

カテゴリー: Days