New bycycle ballad

自転車を買い替えた。
9年も乗っていた先代のMARINのCORTE MADERAというモデルは、奥さんの先輩の元カレが使っていたものを譲り受けたものだった。数回乗っただけで綺麗な状態で、デザイン的には太いフレームがあまり気に入ってなかったのだけど、当時は食うに困るほどだったので、見た目は二の次で他の選択肢はなかったのだ。高円寺のカフェで譲り受け、そのまま豪徳寺の自宅まで漕いで帰った。2011年の話。

以来渋谷や新宿、銀座、八丁堀など年間約200日×9年間、僕の自転車通勤の日々を支えてくれた。おそらく数万キロは走ってきた。タイヤも2年に一回は変えてたから、前輪後輪両方5回は変えたと思う。防犯登録を変えるのが面倒で夜中に警察に止められると、誰から買ったというハイパーめんどくさい説明を何度もしなければならず、30分以上拘束されて警察の検索機能の遅さに何度もキレた記憶がある。

年末に妊婦の為の区の給付金が出たので、奥さんが電動自転車に買い替えてるのを見てたら、自分も欲しくなってしまったので買い換えることに。
クラシカルなピストに近い細いフレームでギアは最小限、ストレートハンドルという条件で、TOKYO BIKEなど、色々な検討を重ねた結果、FUJIのBALLADという車種にたどり着く。音楽を連想させるモデル名も気に入った。
コロナ禍で自転車の需要が急増しているので、色々な店に行ってみても在庫がなく、結局ネットを経由してワイズロードで在庫を確保してもらい入荷まで3週間ばかり待った。カラーはもっと鮮やかな水色やパープルとかがベストだったのだけど、まぁしょうがない。

納車の日を迎え取りに行くと、都市を走るために作られたバイクということだけあり、軽やかで加速もスムーズで最高の乗り心地。
後々少しづつパーツはカスタムしていくとして、一日中ずっと漕いでいたいほど気に入ってしまった。
隅田川のを越える橋を渡る時、キラキラと光る水面がすごく祝福してくれるように思えた。
春がもう近い。

上野の路地 また回すペダル

2021.02.06

カテゴリー: Days

2020−2021

年の暮れ、家族で館山に行った。
出産を控えていた我が家は、コロナがあろうがなかろうが年内はSTAY HOME期間なので、娘と妻にせめてもの労いを込めて。
コストパフォーマンスが良すぎることで有名なIT健保のホテル。
天井が高くダブルベッドが二つ置かれた広々としたオーシャンビューの部屋。
相場の4分の1くらいの値段で泊まれるその部屋に入ると、テラスから見える水平線の向こうに沈む夕日の閃光がぼくたちを包んだ。
奥さんはエステに行き、僕はYOUR SONG IS GOODのwavesをかけて、巨大なソファで息子にミルクをあげながら娘と暮れていく夕陽を見ていた。
その時間の穏やかな気持ちと空気感が、とても心地よかった。
そんな瞬間が今年どれくらいあっただろう。

2020年がもたらしたものは何だったのだろう。
そのことをずっと考えている。
ニューノーマルと言われるそれも、いったいどこまで戻るのだろう。
その答えは何年後に出るのだろうか。
この停滞が終わった時、答えは出ているはずだと信じたい。

職を変えた人、住む場所を変えた人、生活様式を変えた人、色んな決断をしていった人は周りにも多い。
僕はその人たちとは違って出産というイベントが最優先にあり、手軽にはそういう決断はできない立場にいる。
かと言って東京を出て田舎に住みたいとか、違う仕事をしたいとも思わなかったのはなんだったのだろう。

思想や理想ばかりが深くなり、アウトプットにつながらない日々。
リリースした物量でいえば、過去5年で最低の数字だ。
それは決して時流だけではなく、自分の力不足もあるはずで、変わらずにリリースを続けている人たちとの差が開く一方なのは目に見えて確か。
勿論それを黙ってみているわけではなく、主体的に動いてわずかな突破口も開くことができた。
ホームオフィスを作り、家族と一緒に過ごす中で自分のこれからを思案する期間としては十分だった。
来年はそれを正解にしていく流れを作り、種を撒いていきたい。
40代も視野に入っている今、時間はそこまでない。
例によってまた1つ歳を重ねたわけだけど、定期的に散文を書きなぐる癖があるのでこれからも書き続けるだろう。
なので、このブログも内容も装いも新たにすることをお約束します。

それでは今年もありがとうございました。
来年こそ一人でも多くの人に会えますように。
良い年末年始をお過ごしください。

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Hello my boy

報告が遅くなりましたが、9/17の日付が変わる少し前、新しい家族を授かりました。
50.9cm、3490gの男の子です。

今回は里帰りはせず、近くの病院で産むことにしましたが、会いたい時に会えない2020年、当然立ち会いもできず、陣痛が来て夕方車で病院に送って5時間後、最初の対面は僕が風呂に入っていた時に奥さんからかかってきたfacetimeでした。
娘の時より何倍も痛かったと一人で頑張ってくれた奥さんも無事でよかったて。

自分と同じ、いわゆる一姫二太郎、という家族構成になりました。
できれば子供は男女1人づついたらいいなと思っていたけど、それは運でしかないし、どちらかと言えば女系の家系なのてだけど、5月のある日検診から帰ってきた奥さんに、エコー写真を見せられてこれがちんちんって言われた時の天にも登るような気持ちはずっと覚えています。
神様っているのかなと、この時ばかりは思いました。
夢を叶えてくれた奥さんには感謝しかありません。
無常に流れていくモラトリアムな夏の終わりに、とんでもない贈り物をありがとうございました。
2人の存在が自分の人生に新たな意味をもたらしてくれているような気がします。

あっという間に一月がすぎ、幸か不幸か2月から続いている在宅仕事にも慣れてきて、娘の時は見れなかった最初の一ヶ月の成長を仕事をしながら見ることが出来るのは素晴らしいなと思う。
という訳で我が家の自粛期間はまだまだ続くので、今はGo to ナントカなんて違う次元の話に思えるけど、お世話したがりのお節介な上の子と一緒になんとか頑張るので、会えるようになったら沢山遊んでくださいね。

最後に一言、いい加減ライブハウスでライブ観てぇ。

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moratorium summer

パパ虹が出てるよ。
仕事中部屋に入ってきた子供からそう言われて窓の外を見たら、本当に微かに虹が出ていた。

本来ならば華々しい季節になる予定が、蓋を開けてみればなんだこれは。
朝起きてから寝るまでずっとディスプレイを眺めて、無常に時だけが流れていく。

「モラトリアムサマー」とクリスペプラーは呼んでいた。
今年の夏休みは家族の事情で9月に取ることにしたのでお盆も通常営業。
それはいいんだけどどこにいくにも予約が必要で、区民プールの予約に何度も失敗して、暇を持て余した子供をプールに連れて行けることもできない。

ふと、今年の夏は何も思い出を残してあげれないんじゃないか。
奥さんの実家の海にも連れて行くことも、夏祭りや花火、その他たくさんの思い出も、見えないウィルスのせいでかきけされてしまった。
振り返ったときに何も思い出がない夏になろうとしていることに焦った僕は、屋上にタープを張り、トイザラスで買ったプールに空気を入れて、YOUR SONG IS GOODの曲をBluetoothスピーカーで流してプールに浸かる。
今はそうやって楽しむしかない。

屋上に貼ったタープの下のプールで子供が楽しそうに笑っている。
これはこれで幸せだけど、これでいいのか。
人生はもっと自由で、可能性に満ちているはずだ。
ハライチのターンでも、浴室で遊ぶ子供達の横でFUJI ROCKの配信を見ていた澤部が同じようなことを話していた。
コロナが終わったら○○しよう、そんなセリフもう聞き飽きたよ。
近所のジャズバーはもうあkっぱなしで営業を再開している。
本当に無常な夏に、スカイツリーにかかった虹は、どこにもやりようがない想いを象徴しているようだった。

照りつける陽の下で
流れる水につかり君をわすれ 暑さをしのんでいる
かげろうがじゃまする ぼくの視界をじゃまする
去年は君と泳いでいたのに
暑い夏の陽よどうしてのりきれば
このままではすべて流れて行きそうで
bloodthirsty butchers – 七月

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FIGHT FOR COVID-19

コロナ禍とはなんだろうか。

二月の中旬から仕事が在宅勤務になった。
その前から色々な危険性や海外の状況なども聞いていたけれど、幸い家にはマスクも消毒液もストックがあり、仕事は自転車通勤で基本的にデスクワーク。
普段から不特定多数の人との接触が少ない自分は、買い物と飲食店に行く時に手洗いと消毒をきちんとすれば感染リスクは物理的にもとても少ないと思っていた。インフルエンザや他の感染症に比べ、どれくらい危険度が高いのかいろんな説が飛び交う中で、結局気にしすぎると自分が精神的にきつくなるのであまり気にしない方がいい。

以前からマスク依存社会への疑問もあり(というかむしろマスク嫌い)、世の動きに逆張りしたくなる性格ゆえ、会社のデスクと家の往復を続けた。
ウイルスより経済の収縮により、自分の好きな場所、特に文化施設がなくなってしまうのが嫌だった。
小さい子供がいて、モニターやデスクもない自宅では、仕事のパフォーマンスははるかに落ちる。気が散って集中力が続かない。
オフィスの空間が好きだったのもあり、出社できないことは苦痛でしかなかった。

状況が変わり始めたのは三月後半。
台東区の永寿病院で院内感染が起き、都内の感染者が増え始めた緊急事態宣言が出るか出ないかの時。
流石にこれはもう自分だけの問題ではないと気づいた。

きっかけは些細なことだった。
部屋にあるテレビとブルーレイプレイヤーに繋いでいたHDMIケーブルをMacにつないで一日作業してみたら、まぁこれでやれないことはないなと感じた。
テレビ台とコーヒーテーブルをくっつけて即席の作業スペースを作った。腕が浮くので少し痛みが出るけどじきに慣れるだろう。
会社からもモニターの持ち出し許可が出たのでキーボード、ラップトップスタンドなどの周辺機材を会社から全て持ち帰った。
座椅子なのはまぁ妥協するとして、あれだけ嫌だった自宅勤務も受け入れると楽になった。

幼稚園がなくなりった子供も友達に会えない状態の中、昼間に話す時間ができた分、僕の仕事に興味が湧いているようだった。
オンライン授業をしたり、切り絵を作ったり、絵の具を試したり、家事を手伝ってくれたり、おやつを持ってきてくれたり、仕事を黙って横で見ていたり。
この間に補助輪を取って自転車に乗れるようになり、一人でシャンプーもできるようになった。
そういうのを横で観れる嬉しさのある反面、夕方家族と大声で喧嘩する日も少なくないけれど、今は家族でこの苦難を乗り越えることを優先して考えることにした。

仕事、食事、料理、家事、風呂、散歩、子供と遊ぶ、サイクリング、ドライブ、公園、スーパー、コンビニ、ギター
行動はこれの繰り返し。

時々配信されるライブやオンライン飲み会に顔を出し、可能な限りドネーションをする。
デスクに向かいデザインを作り、slackに向かいタイピング、分断された画面の映像に向かって話しかけ、黙々とプロジェクト管理ツールに重なったタスクを片付けていく。
フリーランスって多分こんな感じなんだろうな、となんとなく思う。
気づけばもう2ヶ月以上電車に乗っていない。
気晴らしにスパイスを買ってきてやりたかったカレー作りにチャレンジし、服はいつでも走りに行けるようにトレーニングウェア。
オンラインで観れるコンテンツは死ぬまでに見切れないほど溢れている。
グーグルカレンダーに予定を入れていくのが楽しみだったのが、中止にする可能性が高い未来には何の予定も作れない。

ただ、慣れてくるとこれはこれで良いなと思うこともある。
無欲だ。
自宅での生活が中心のSNSのタイムラインには嫉妬することもなく、欲望がだんだん剥がれていくように感じた。
ライブハウスへ爆音を体感しに行き、好きなお店を開拓し、美術館でモダンアートを見漁る、そんな生き方が懐かしく思える。
ただ波風が立たない分、ちょっとしたことですぐ怒ってしまうこともあった。

自然と10年前のリーマンショック後を思い出した。
家でひたすら架空のサイトのデザインを作っては壊しコードを書いて、お金がないので全て自炊、基本は無料のギャラリーに行くか、友人のライブに行く、サイクリングをする以外はなかったあの日々。
その当時の交際相手は今は家族となって支えてくれているが、本質は何も変わってないと思う。
変わっているのは、twitterやinstagramがあり、携帯がスマートフォンになり、オンラインで出来る行動が拡張していること。

果たしてあとどれくらいこの状況が続くのか、誰にもわからない。
しかし、この時間をただTVゲームやドラマを見て時間をやり過ごせる性分ではないので、自分に今何ができるのかをずっと考えている。
幸い仕事以外でいくつかのプロジェクトが動きはじめ、感染者もゆっくりと減少に向かっているのは確かだ。
GEZANの#WISHというドキュメンタリーを見て生きるとは何かを問う。
感情を最大限に動かすこと、自分にとってはそれだと思う。
その時まで手を動かし続け、この時間をいかにクリエイティブに過ごせるか。
自分にとってはそれが生きるということだ。
生きよう。

2020/5/31

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